この作品を便宜的に「これ」と呼ぶ。
陶を素材に扱うとはどういうことか。その一つの答えとして、これは陶をパーツにして組み立てた。
これ組み立てるという行為を通して、そこに可変的な「何か」を凝縮・統合させる。
陶の持つ硬さを粘土のように動かし、また固定する。最終的に凝固してしまえば、
もとにあった「何か」は損なわれた、しかし「何か」は増加した。
しかし、行為の階層(パーツ作り,焼成,仮組み,充填剤からの分割,連結)を経て凝固したこれは
行為の合間にイメージの膨張と縮小を繰り返す。「何か」の振れ幅の和と差と積と商が難解な数式のようにも取られるが
物理空間の制約によって、限りなく「自然」に近づく。

上の文章は分りにくいので翻訳すると、

この作品は陶を素材として扱う一つの答えであり、パーツ化させた陶を組み立てた。
陶は硬く粘土のようには動かないが充填剤を利用しそこからまた造形が始まる。
陶による造形は、もとあった理想のイメージからは離れるが、陶造形としてのエネルギーが増加していく。
エネルギー絶対主義の作品としてみると中途半端だが、理想エネルギーと現実エネルギーのバランスに着目したい。
動かないものが揺らぎ、揺らぎがまた静まり返る。波打ち際のような静と動のバランス、などというと大袈裟だが、
物理空間という自然現象の観察をして、法則を導き出すような、古典物理学者にあこがれている自分がいる。