2014年4月〜9月には次のような活動をしました。

第25回 山科疎水周辺の社寺・醍醐の桜めぐり

        平成26年4月7日(月)  参加者:9名

山科琵琶湖疎水と周辺社寺

山科疎水の桜

 9世紀頃創建の諸羽神社、大石内蔵助外46義士を祀る瑞光院、京の七福神・毘沙門堂(毘沙門天)と「しだれ桜」、毘沙門堂の子院といわれる山科聖天をめぐり、満開の桜が咲く琵琶湖疎水を散策し、山科の名刹をめぐる。

 

 

醍醐の桜

醍醐寺

 山一つが醍醐寺。槍山で太閤秀吉が催した桜見は上醍醐の周辺らしい。下醍醐の五重塔、仏像、絵画などを鑑賞して花見とする。少し散りだしているが、京都最古の建造物(五重塔)や国宝・重文を鑑賞できた。

 

 

第26回 東海道・宿場・花菖蒲めぐり

        平成26年5月3日(土)  参加者:21名(会員20名、準会員1名)[貸切バス]
桑名・関〜土山・草津

大福田寺

大福田寺

 今から1400年前、聖徳太子が建立された寺である。聖武天皇は勅願寺と定め、弘法大師が修行にあたり、延喜年間に宇多法皇が閑居されてから菊の紋章が許された。日本三大聖天の一つとして全国に知られる。
「伊勢七福神 大黒天」を祀る。

 

照源寺

照源寺

 寛永元年(1624年)桑名藩主松平定勝の死去につき、この地に埋葬された。子の松平定行が、将軍秀忠の命により、創建した松平家の菩提寺。
境内にある照源寺夫婦松が有名。

 

六華園

六華園

 鹿鳴館を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計。四層の塔屋を持つ木造二階建ての洋館と、池泉回遊式庭園を持つ和様建築からなる。
明治・大正期を代表する貴重な文化遺産として国の重要文化財に指定されている。

 

関宿

関宿

 伊勢関宿は古代三関の一つ「鈴鹿の関」が地名の由来となっている。
東の追分から西の追分の間が街道として伝承されている。
東海道と伊勢別街道・大和街道との分岐点があり、歴史的景観の保存に力を入れている。

 

田村神社

田村神社

 弘仁元年(810年)嵯峨天皇の勅命を受け、鈴鹿山道で旅人を苦しめていた悪鬼を討伐した坂上田村麻呂を、嵯峨天皇の勅願所として、この地に田村大明神と称して祀られている。鈴鹿の鬼退治、厄払いなどで有名。
「いかに悪しき年に当たるとも諸々災難除かんには、社殿前を流るる御手洗川に節分の福豆を己が年の数、東に向かい祈念をこめて流さば凡ての禍は流れさる」と言われ、己が厄災を福豆の背に負わせ祓う厄除大神として広く崇敬されている。

 

東海道伝馬館

東海道伝馬館

東海道伝馬館2

 土山宿の情報発信の拠点。大名行列を模型で再現。

 

 

第27回 東高野街道・紫陽花めぐり

        平成26年6月7日(土)  参加者:20名(会員19名、準会員1名)[電車・徒歩]
石清水八幡宮・東高野街道・松花堂庭園

石清水八幡宮

石清水八幡宮

 平安時代初期、、石清水八幡宮は、都を護り国家を鎮護するために創建された。貞観元年(859年)僧 行教が豊前(現大分県)宇佐神宮で八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を受け、男山の峯に奉安した。

木津川、宇治川、桂川が合流する男山の頂に建つ(厄除け・勝負の神など)

 

東高野街道

東高野街道

 梅雨のため、小雨の中男山裾野に点在する社寺を歩きながらめぐる。

東高野街道は、八幡を基点として高野山に向かう街道として開発された。

 

松花堂庭園

松花堂庭園

 松花堂昭乗が摂津堺(現大阪府堺市)に生まれ、寛永4年(1627年)八幡宮滝本坊の住職となり、空海や藤原定家の書を学び寛永三筆の一人に数えられた。

松花堂弁当は、ここから出た。

 

第28回 中山道・宿場・梅花藻めぐり

        平成26年7月5日(土)  参加者:20名(会員19名、準会員1名)[貸切バス]
伊吹山・醒ヶ井宿(中山道)・蓮華寺(中山道番場宿)

伊吹山頂から望む

伊吹山頂

 伊吹山ドライブウェイにて約1,200mの駐車場までバスで行き,小雨の中、西登山道を1,377mの頂上へ向かう。

山頂では雨も止み、薄日がさす天気となるが、眺望は望めなかった。
お花畑は、時期が少し早いようだった。山頂から中央登山道を駐車場まで下山する。伊吹山ドライブウェイを下る途中、雲海に感嘆の声が上がった。

 

醒ヶ井宿

醒ヶ井宿

 中山道61次の宿場町。街道に沿って流れる地蔵川の両脇に明治の初めに建てられた公会堂や問屋場、郵便局、明治天皇御駐替所など、明治の面影が残っている。

名水として西行水、十王水、居醒の清水など、全部で7箇所から湧き出ている。
街道沿いには、新鮮な地場野菜(トマト、なす、枝豆など)が安く売られており、買い求める観光客が沢山いた。また、湧き水をペットボトルに汲んで帰る人も見られた。

 

梅花藻

梅花藻

 梅花藻は、水中多年草で、5月下旬から9月下旬にかけて梅の花に似た小さな白い花を咲かせ、涼を感じさせる。

年間を通じて14℃前後に保つ地蔵川に群生する。川の水の透明さには驚く。

 

蓮華寺

蓮華寺

 鎌倉時代末期、北条仲時がこの地で、鎌倉幕府の滅亡を悟り、配下とともに自害した場所として知られる。

蓮華寺は、聖徳太子により創建され、当初は「法隆寺」と名付けられていた。
近くの番場宿は、長谷川伸作の「瞼の母」、「番場の忠太郎」でも親しまれている。

 

第29回 かやぶきの里・杉めぐり

        平成26年8月2日(土)  参加者:22名(会員19名、準会員3名)[貸切バス]
周山街道の社寺と美山かやぶきの里

神護寺

神護寺

 三尾の寺

 創建は、はっきりしないが、河内の「神願寺」と愛宕五坊の一つ「高雄山寺」が天長元年(824年)に合併されて、現在の「神護寺」となる。
ことに弘法大師が唐より帰朝して、大同4年(809年)に入山以来、14年間住持されたところである。
本尊の薬師如来立像は国宝に指定されている。
高雄は紅葉で有名で、燃えるように全山紅葉する。足利義政も毎年訪れており、当時の屏風絵に描かれている。
紅葉の盛り、もう一度訪れたいと感じるひとときでした。

 

高山寺

高山寺

 三尾の寺

光仁天皇の勅願による寺院。
明恵上人が半生を送った寺として知られる。
釈迦をこよなく思慕したので、この山を生涯釈迦の聖地インドと見立て清滝川で身を清めて歩き、理想郷とした。
濃緑の木立の中、錦秋の頃の景色を思うと酷暑から解放される感じでした。

 

美山かやぶきの里 「北村」集落

美山かやぶきの里

 現在50戸の集落で、住宅棟32棟(内4棟が鉄板被い)、美山民族資料館、店舗など6棟を合わせて38棟が、かやぶき棟である。

約200年以上の歴史をもち全国3位のかやぶき集落である。(重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。)
他に、樫原地区にある石田家住宅は、重要文化財に指定されている。
まさに懐かしい日本の原風景でした。

 

美山民俗資料館

美山民俗資料館

 約200年前の中層農家住宅の再建された建物。(平成12年5月 火災で焼失したが、平成14年再建された。)

資料館は、住居、納屋、倉からなり、当時使用されていた道具類や生活用具などを展示している。

 

第30回 鯖街道・トチノ木めぐり

        平成26年9月6日(土)  参加者:22名(会員20名、準会員2名)[貸切バス]
朽木街道沿い社寺・陣屋・浮御堂

明王院

明王院

 かくれ寺(白州正子の「かくれ里」で紹介された。)

円仁和尚の弟子である相応和尚が、厳しい修行の末、貞観元年(859年)に生身の不動明王を感得し、木像を安置したのが始まりといわれている。明王院の本尊は木像千手観音立像を中尊として、不動明王立像・毘沙門天立像の三尊(平安時代後期の作・国重要文化財指定)が安置されている。
 古の仏法修行の霊験勝地の趣を残している箇所であった。

 

興聖寺

興聖寺

 関西花の寺25カ所の一つ(藪椿)。(司馬遼太郎の「街道を行く」で紹介された。)

近江の守護佐々木信綱が、承久の乱にて戦死した一族の供養のため、佐々木家の菩提寺として建立した。開基佐々木信綱は宇多天皇の直系で、晩年この地に入り隠住、その後、曾孫の義綱より朽木氏に改め廃藩置県まで続いた。本尊釈迦如来坐像は国重要文化財に指定されている。また、楠木正成の念持仏である縛り不動明王が祀られている。
室町時代からの世情を住職から伺い、改めて自己啓発の思いを刺激されるものでした。

 

旧秀隣寺・足利庭園

足利庭園

 室町幕府第12代将軍足利義晴のために、朽木稙綱が館を設けた際に築造したものと伝えられている。

曲水の池には亀島・鶴島を配し、8本の藪椿など祝いの意を込め将軍を慰め世の平和を願って作庭献上したといわれる。
夏草が生い茂る中で、室町時代の面影が垣間見られた。

 

邇々杵神社

邇邇杵神社

 朽木大宮権現と称され日吉大宮権現をまつり、朽木谷中の産土神であったとする。葛川明王院を開いた相応和尚が神宮寺を創建し、朽木大権現を勧請して鎮守したと伝えられている。

現在の祭神は邇々杵命で、邇々杵神社の東には神宮寺があったが、昭和26年(1951年)に罹災し、現在は多宝塔と小堂を残すのみである。この多宝塔は、天保13年(1842年)に再建され、県内に残る近世の多宝塔としては唯一のものである。

 

朽木陣屋跡

朽木陣屋跡

 この地を領した朽木氏の館舎跡で、発掘調査により様々な史跡が出た。

この地は京と若狭をつなぐ最短距離の道筋の一つとして利用された交通の要衝であり、経済・文化、軍事上において重要な役割を果たした。
また、資料館には、朽木盆などの木地師製品や硯石を始めとする朽木地域の産業、民具、文化財などの資料が展示され、「織田信長の朽木越え」と朽木氏の対応など朽木の歴史の説明を受けた。

 

浮御堂

浮御堂

 近江八景の一つ「堅田の落雁」として有名な浮御堂は、昔一条天皇の長徳年間(995年頃)比叡山横川恵心院に住した源信僧都が、山上よりびわ湖を眺め湖中に寺を建て湖上交通の安全と衆生済度を発願したことに始まる。お堂には「阿弥陀仏一千体」を安置している。

この日は、30〜40%の降雨確率であったが、穏やかな良い天気に恵まれ守山や三上山が遠望でき、気持ちの良い社寺めぐりであった。

 

以上の他に、グリーンパーク「想いでの森」での昼食、および「草津市立水生植物園みずの森」に立ち寄り、初秋の一日を満喫したが、水生植物園から草津駅までの帰路、今夏の天候不順を再現したような夕立での締め括りとなった。


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