この資料は津市教育委員会発行”津市の歴史散歩”を参照しています。

散    策

北 郊 地 区

銭懸松 白塚町通夜講 毛無川流域の遺跡 仲福寺 窪田常夜灯
久善寺 川北城跡 専修寺 厚源寺 慈智院
一御田神社  寺内町 勝久寺 上津部田城跡公園 八雲神社
栗真観音寺 逆川神社 阿保氏大砲鋳造場跡 町屋の常夜灯  
大里窪田町獅子舞 中野獅子舞      
この地域は西に高野尾・大里、東に一身田・栗真地区、海岸に白塚地区がある。 一身田辺りの田地は碁盤の目のように規則正しく配列されいる。   条里制と呼ばれる耕地整理によるもので名残として「一之坪」から「八之坪」と言う数字のついた 坪名が地名として残っている。

銭懸松(高野尾町)

伊勢別街道の高野尾にある。伊勢参宮の旅人が高野尾に来た時、草刈の男に道を尋ねた。 まだ20日もかかるとの事でとても行けないと思い、そばの松に銭の束をかけて遥拝して帰ろうと した。   草刈の男がその銭を取ろうとした時、銭は蛇になって男に襲いかかった。男は嘘をついたことを謝り、 斎宮まで案内した。松は現在5代目であり若い。近くに常夜燈、石碑がある。

白塚町通夜講
(白塚町、一身田専修寺)

白塚町に17世紀から伝えられる宗教習俗。1月15日に高田本山専修寺報恩講の通夜に参加。   大部分の人々が”ひしこ鰯”漁を生業とし、声高らかに唱えるためこの念仏を「獅子吼(ししく)」念仏とも言う。

毛無川流域の遺跡
(大里窪田町近傍)

圃場整備や国道23号バイパス工事によって発掘調査が行われ大規模な遺跡が明らかになり津市 の歴史を大きく遡らせる事となった。   後期旧石器時代のナイフ型石器、弥生時代後期の土器、 わが国最古の鋳造貨幣(和同開チン銀銭)等も出土した。

仲福寺(大里窪田町)

真言宗醍醐派の寺院で11面観音像(市文化財)がある。  

窪田常夜燈 (大里窪田町)

津市で一番大きく高さ約8.6bある。江州の商人が伊勢神宮に奉納するための移送の途中車が壊れ、 窪田に設置した。寄進者の氏名が多く刻まれている。  

久善寺(きゅうぜんじ) (大里川北町)

大里川北町の真宗高田派の寺院。室町時代の真ねの教えを受けた了善の道場から始まり、 当時の葬具が残され民衆にはじめて葬送が行われたことが判る。   紙本墨書の市文化財が多くある。

 

川北城跡
(大里川北町かわきた苑)

鎌倉時代の頃に川北氏が築城したと言われるが不明。  

専修寺(せんじゅじ)
(一身田町)

ある記2へ
真宗高田派の本山で全国に約650の末寺がある。もと栃木県二宮町高田にあり今でも残っている 。栃木県の専修寺を本寺(ほんじ)一身田を本山(ほんざん)と呼ぶ。本寺は約750年前親鸞が 関東地方の布教の拠点とした。その200年後本願寺に蓮如(れんにょ)が現れ高田派はこれに 押された。
第10代真ねは東海、北陸地方を中心に布教を行い多くの信者を得た。最初の寺名は「 無量寿院」(むりょうじゅいん)と呼ばれたが、真ねが亡くなった後、本寺の消失、高田派と皇室や 貴族との関係が深くなり、一身田の方が重要となり室町時代の末頃本山としての一身田に出来上がり 専修寺と呼ぶようになった。
  国宝、重要文化財も多く菊の御紋章がある。

主な重要文化財等
・御影堂(みえいどう)
・如来堂 ・山門
・唐門(からもん) ・御廟(ごびょう)
・安楽庵 ・鐘楼、銅鐘

 

厚源寺(こうげんじ)
(一身田町)

専修寺の山門前にある末寺の一つ。聖徳太子2歳の時の立像がある。  

慈智院(じちいん)
(一身田町)

1639年の建築で仏壇の構えなど現行の真宗寺院には無い特色がある。  

一御田神社
(いちみたじんじゃ)
(一身田町)

一身田町の氏神。祭神が灌漑をつかさどる神を主神としており、一身田が全くの農村であったこと を示す。  

寺内町(じないちょう)
(一身田町)

ある記2へ
専修寺を中心に周囲に末寺、家老、用人などを配置し、一般の商家も取り囲んで外側を堀で囲んで いた。

  江戸時代この堀にかかる橋は3ヶ所だけで、夜門は閉じられた。このような形態の集落を 寺内町と呼び室町幕府の末期に発生した。

勝久寺(しょうきゅうじ)
(一身田上津部田)

ある記2へ
今は天台宗盛宗に属する。重要文化財の木像、阿弥陀如来坐像(平安時代)他多くの文化財がある。  

上津部田城址公園
(一身田上津部田)

総合文化センターのすぐ西にある。この城は生活する場所ではなく、戦いの時だけ立てたてこもる城 と考えられる。   公園とはいえ利用する人が少ないためか寂れている。近くにショッピングセンター、 文化センターがあるのでちょっと寄ってみたい。

八雲神社(白塚町)

ある記4へ
白塚町の氏神様。疫病の神さん。7月11日の”やぶねり”は勇壮活発。

  八雲神社は近くに(河芸町)3ヶ所あるので注意。
河芸町には”ざるやぶり”の八雲神社がある。

栗真観音寺 (栗真小川町)

熊野勧心十界曼荼羅図がある。なぜこの寺にあるのかはハッキリしないが、他の勧心十界曼荼羅図 と同じ様に、熊野比丘尼(びくに)が持参し、各地を勧進するのに用いたと思われる。  

逆川神社(さかがわ)
(栗真小川町、栗真中山町)

しもやけの宮として知られる。昭和初期までは土用の丑の日に行われる祭りが賑わった。
逆川の名は、川が海の方向ではなく神社の南側を山手に向って流れている事からその由緒がある。
  又、戦時中には電車「逆川駅」があり近郷唯一の乗降場だった。

阿保氏大砲鋳造場跡
(栗真中山町)

国道23号から津、関線に入った北側の銀杏の木が鋳物師の屋敷跡。   幕末には大砲を作ったことで有名。

町屋の常夜灯
(栗真町屋町)

ある記4へ
1839年武蔵国(現埼玉県)の木綿業者が寄進。

  伊勢国は木綿の産地として有名で取引が活発に行われていた。

大里窪田町獅子舞
(大里窪田町)

昭和24年に復活。現在にいたる。正月に舞う。  

中野獅子舞 (一身田中野)

3年毎の立春の頃舞う。次回は2003年に実施予定