一御田神社
   

津指定有形文化財 彫刻・工芸・書跡
   一御田神社神宝類
 27点

   (いちみたじんじゃ しんぽうるい)

一身田 一御田神社    昭和34年5月7日指定
能 面(のうめん)  1面   室町時代
縦21.2cm、横15.8cm
 痩せた老人の男面で、目の周囲を大きくくぼませ目尻を下げ、瞳に四角い穴を明けている。
鼻は大きく笑うように口を開け、歯を露出させている。
頭骨は高く、頬はこけ額に4条の皺を刻む写実的な面である。
面の内側は滑らかではあるが、近世のものよりのみ跡が荒く、能がまだ神事芸能としての性格を有した頃のもので、能面の形式が定型化しない室町時代も古様の面とし推定される貴重なものである。
色彩は素地に胡粉下地を施したものだが、剥落し色調は不明である。

簓(ささら)       2組   室町時代
長さ75cmと60cm、径1.5cm
 雌竹を用い手元約三分の一を残して、鋸波状に加工したものと、細かく縦に割ってあるものを一組としてこすり合わせて音を出す楽器の一種である。
明応4年(1495)の銘がある。

扁 額(へんがく)   1枚   明治時代
縦75.7cm 横30.3cm
 大師流で「梵天宮」と書いた字を銅版にくりぬき、板に打ち付けられている。
板は明治の新補である。
板裏には寛政8年(1668)以来の社名を、明治4年(1871)に社名を”一御田神社”に変更した事が書かれている。

田植歌(たうえうた)  1枚   室町時代
檜の横板に「大梵天皇御田歌」と墨書きされ田植歌が書かれている。
曲譜は無いが、稚子による御田植神事の際には神官が読み上げていて、室町時代の歌詞が今なお息づいている。

棟 札(むなふだ)   22枚   室町時代〜江戸時代
22枚の棟札は全て檜材で出来ており、嘉吉元年(1411)から寛政12年(1800)迄の銘がある。
嘉吉3年(1433)の棟札には、信心村人(氏子)35軒の存在を記し、天正20年(1592)の棟札には「寺内地下」の語が始めて現れていて、一身田に専修寺が移る前の様子や寺内町の形成期を伝える好資料である。


これらの神宝類は、県立博物館にあるとの記載した書物もあるが、藤神社にある。
一身田 寺内町祭り(平成13年は11月11日)には、見られるとの事。

一御田神社
この神社は.原始時代に農業集落であった頃からの鎮守で、農耕と水の神を主神とし、右側の社殿には天満宮をお祀りしている。
左側には”花山稲荷"がある。

本文は”一御田神社の説明板及び津市教育委員会発行の津市の文化財”を参照しました。

'01-07作成



能 面


一御田神社


横にある花山稲荷


    北郊地区へ戻る
    津市の文化財へ