中島城 戦国の遺構がこじんまりとしっかりと
−長浜市湖北町丁野−

主曲輪と土塁 主曲輪北側の堀
名称:中島城
所在地:長浜市湖北町丁野
標高:133m
比高:30m
築城〜廃城:天正元年(1573年)
探訪日 2011年10月20日  天候:晴れ
コースタイム:丁野(新日本電気硝子)駐車場横13:48−丁野山城・中島城分岐13:54−丁野山城13:59/14:28−同分岐−中島城14:34/14:46−同分岐−丁野駐車場横14:52
【砦の歴史】

1 元亀元年(1570年)、浅井長政が朝倉義景と相議し、丁野山城とともに東の尾根の中島城で小谷山の防御を固めた。

2 元亀2年(1571年)、丁野山城の城主に魚住景固にかわり、越前の平泉寺の衆徒、玉泉坊と宝光院が任につき、中島城とあわせて、五,六百人の兵が警備した。

3 天正元年(1573年)、大嶽城を落とした織田信長が丁野山城、中島城を包囲し、結局、信長の勧降により越前の兵は田上山の義景の陣に向かい中島城の中島宗左衛門尉直親は信長に下った。両城には火が放たれた。
副曲輪と土塁 主曲輪北側の堀
【城の構造】

1 中島城は西の丁野山城の東方300mの尾根続きで比高30mのところにある。

2 曲輪の配置は東西に約10m四方の2つの曲輪を連ね、それら周囲を高さ1〜2mの土塁で囲んでいる。また、曲輪の北と東には堀があります。東に少し下ると、堀切と土橋があり、その向こう、尾根の先まで出曲輪がある。低い尾根全体が遺構となっている感じ。
東方から主曲輪への虎口 丁野集落からの丁野山(中央)と中島城の尾根(左)
【探訪記】

 丁野山城に引き続き、尾根上の分岐から少しで到着。
 こじんまりながらも、主曲輪、副曲輪、土塁。堀切、など遺構はしっかり残っている。

 主曲輪、副曲輪ともに約10m四方でそんなに大きくない。木々の間から近くに小谷城と、織田方が陣取る虎御前山が見える。主曲輪から東のほうに緩やかに下ると、堀切と土橋が残る。雑草に覆われちょっと見にくい。その向こうは送電線の鉄柱のある平地、その東にも曲輪らしき平地がある。山道が尾根上に続き、先端からは田んぼに降りている。

 丁野山城と中島城と合わせて五、六百人の兵がこもったというが、結構こじんまりしているというのが印象。でも、それぞれ、遺構自体はしっかりと残っていて興味深い。

 余呉の山城跡(賤ケ岳の合戦時の砦)のように、縄張り図がついた説明板が現地にあれば、もっと興味深く現地を楽しめると思います。
 

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