虎御前山砦 浅井の小谷城と対峙
−山一帯に織田方の陣地が並ぶ−

伝織田信長陣地 奥に伝堀秀政陣地
名称:虎御前山砦
所在地:長浜市湖北町河毛、虎姫町中野
標高:220m
比高:130m
築城〜廃城:元亀3年(1572年)8月〜同4年(1573年)8月
探訪日:2011年10月29日(土)  天候:晴れ
コースタイム:河毛側登山口11:50−伝滝川一益陣地12:12/14−伝堀秀政陣地12:19−伝織田信長陣地12:25−伝羽柴秀吉陣地12:33−河毛側登山口12:51
【虎御前山城の歴史】

1 元亀元年6月、織田信長が小谷城を攻撃し、虎御前山に上がり指揮するも一日で撤収。

2 元亀3年7月、再度小谷城を攻撃し、小谷山南の虎御前山、雲雀山に兵を入れる。7月22日、虎御前山に築城を命じる。砦は8月8日に完成。虎御前山の南東1.5kmの宮部砦までの間の道の片側に約3mの土塁を築かせ、通行の安全を図り防御ラインとしても機能した。

3 砦には、織田信長の本営のほか、羽柴秀吉陣、柴田勝家陣、堀秀政陣、滝川一益陣、丹羽長秀陣ほかの陣城が築かれたと伝えられている。

4 以後、羽柴秀吉や信長嫡子信忠の守備した期間を経て、元亀4年8月28日の小谷城落城まで、信長本営として機能した。   (「近江の山城ベスト50」中井均編)
賤ケ岳から望む小谷山(中央左の三角の山)と
虎御前山(その右の低い山)
【探訪記】

1 河毛側の登山口から登る。杖がたくさん置いてあって、急坂も木で階段状に整備されている。
ひと登りで、緩やかになる。柴田勝家、羽柴秀吉、織田信長、堀秀政などの陣が次々と出てくるが、とりあえず、一番南の伝滝川一益陣まで行く。遊歩道はしっかりと整備され、明るい雑木林の中、時折、伊吹山など湖北の展望も利き気持ちがいい。でも、誰にも出会わなかった。
 伝滝川一益陣から南にも、丹羽長秀、蜂屋頼隆の陣があるが、公園化で壊されている部分もある。

2 伝滝川一益陣から再度、北に向いて遊歩道を巡っていく。堀秀政陣の南には数条の堀切が設けられ、東側斜面には顕著な竪堀が下に長く続いている。

3 伝織田信長陣は規模は大きく、この陣には信長の趣向で興のあるつくりとなり、その座敷からは小谷山が眺められたという。(「近江の山城ベスト50」中井均編)
 真ん中に主曲輪があり、その南側に外枡形状の虎口がある。曲輪は長細く続いて本営らしい規模になっている。 
 
伝滝川一益陣跡 下に長く続く竪堀
伝織田信長陣跡 長細く曲輪が連なる織田陣地跡
4 伝羽柴秀吉陣跡は、小谷山にもっとも近接した砦(さらに北にある柴田勝家陣は不明瞭)で、防御性を高め、周囲の土塁をめぐらし、土塁の裾は切り立つ切岸で囲っている。
 現在は、砦の周囲は雑木があるため、砦中心部から木々の間に小谷山が見える程度。

5 秀吉陣跡の先には伝柴田勝家陣跡があるが、前方後円墳と一体となりよくわからない。
伝織田信長陣地跡縄張り 伝羽柴秀吉陣跡縄張り
伝羽柴秀吉陣跡
伝羽柴秀吉陣跡 秀吉陣の曲輪と周りの土塁
高低差大きい切岸で防御 北側の浅い堀切と土塁

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