丁野山(ようのやま)城 
−小谷山を守る最前線の城−

一段高い主曲輪 主曲輪南の横堀
名称:丁野山城
所在地:長浜市湖北町丁野
標高:169m
比高:66m
築城〜廃城:永正15年(1518年)〜天正元年(1573年)8月
探訪日 2011年10月20日  天候:晴れ
コースタイム:丁野(新日本電気硝子)駐車場横13:48−丁野山城・中島城分岐13:54−丁野山城13:59/14:28−同分岐−中島城14:34/14:46−同分岐−丁野駐車場横14:52
【砦の歴史】

1 永正15年(1518年)、浅井備前守亮政が築城

2 元亀元年(1570年)、浅井長政が朝倉義景と相議し、丁野山城とともに東の尾根の中島城で小谷山の防御を固めた。

3 元亀2年(1571年)、丁野山城の城主に魚住景固にかわり、越前の平泉寺の衆徒、玉泉坊と宝光院が任につき、中島城とあわせて、五,六百人の兵が警備した。

4 天正元年(1573年)、大嶽城を落とした織田信長が丁野山城、中島城を包囲し、結局、信長の勧降により越前の兵は田上山の義景の陣に向かい中島城の中島宗左衛門尉直親は信長に下った。両城には火が放たれた。
小谷山からの丁野山(中央) 中島城(左の尾根)と丁野山城(中央)
【山城の概要】

 城は丁野山の山頂に南北に築かれ、最高所に南北20.5m、東西19.5mの方形の曲輪を削りだし、主曲輪とするが周囲には土塁がなく、一段くだった外側に横堀をめぐらし土塁が築かれている。土塁の周囲には帯曲輪がある。

 主曲輪の北側には横堀を挟んで4等三角点のある北曲輪、さらに堀切があって曲輪がある。主曲輪の南側にも
同様に横堀を経て曲輪、さらに堀切がある、連郭式の曲輪配置となっている。

 南の堀切に続いて、竪堀も残っている。

 小谷山の西約1kmの位置に築かれている。
 
【探訪記】

 「みーなbP05号」を河毛駅で購入し読んでいると、丁野山城と中島城の探訪記が記載されていた。これは行っておかないと、と余呉湖マラソンの帰りに足を伸ばす。

 丁野の会社駐車場の横から歩き出て山に入ってすぐに、丁野山城と中島城の分岐に着く。ぐいッとひと登りで、丁野山山頂。ここには小規模ながらも予想以上に曲輪や堀切、土塁がしっかり残った、丁野山城があった。
城への入口 主曲輪北側の横堀
北曲輪からの主曲輪 南の堀切
 山頂最高所の真ん中に、方形に削られた主曲輪があり平坦部に説明板があった。
北と南にに、空堀を挟んで曲輪とさらに堀切は明確に残っており、木々の合間から東には、ほん近くに小谷山、西には小谷山と結んで防御線を結んでいた山本山と、その奥に琵琶湖、竹生島が美しい。

 主曲輪の周囲の横堀と土塁、北と南に続く曲輪と堀切、南にある竪堀、主曲輪の東西の帯曲輪など、様々な戦国の遺構が残る、小規模ながらも興味深い山城でした。

 一旦くだって、中島城へ。 

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