小谷城:日本五大山城の一つ 浅井三代の栄華の地
−麓は浅井三姉妹のイベントで盛り上がり−

麓からの小谷山(左) 大広間跡
今も残る石垣 山頂からの琵琶湖、竹生島
名称:小谷城 (山頂部は大嶽城:おおづくじょう)
所在地:長浜市湖北町伊部、郡上
標高:495m(大嶽城)
比高:
築城〜廃城:大永年間(1521〜1528年)〜天正元年(1573年)

日 時:2011年5月7日(日)   天 候:晴れ
コース:麓駐車場〜小谷城跡〜山頂(大嶽)〜郡上への尾根
メンバー:たかはし2人連れ


ちなみに日本五大山城は、*国名(現在の地名) 城名 主な城主 の順に*
 1 越後国(新潟県上越市) 春日山城 上杉謙信、 2 出雲国(島根県安来市) 月山富田城 尼子経久、 3 能登国(石川県七尾市) 七尾城 畠山義綱、4 近江国(滋賀県近江八幡市) 観音寺城 六角義賢、 そして 5 近江国(同長浜市) 小谷城 浅井長政 です。 

【小谷城の歴史】

@大永3年(1523年)、浅井亮政は京極家の相続争いに乗じて国人一揆を起こし、江北地方支配に踏み出す。このころ築城。初期の小谷城は、小谷山最高峰の大嶽に設置。その後、城は徐々に拡張。
A天文11年(1542年)浅井亮政が没。
B天文22年(1553年)浅井久政、六角義賢と戦い大敗し、講和。六角の保護国的な扱いに。しかし、久政は内政に意を注ぎ、領内の安定に努める。
C永禄3年(1560年)、浅井賢政(長政)、野良田で六角氏破る。
D永禄10年(1567年)頃、織田信長の妹お市の方を娶り、同盟結ぶ。
E元亀元年(1570年)4月、越前の朝倉義景を攻めていた織田信長を、長政、背後から攻めた。
F同年6月、姉川の合戦。織田・徳川軍が攻勢と成り、浅井・朝倉軍は小谷城へ退く。
G天正元年(1573年)8月、大嶽城の支城焼尾砦の守将浅見対馬守が信長に寝返り、信長、大嶽城を攻め落とす。朝倉 義影越前に退却するが、信長軍の追撃により自刀。
H同年9月、長政、本丸下の赤尾屋敷で自刀。小谷城落城。

【探訪記】

 麓はにぎやかでステージでは三姉妹のイベントも繰り広げられている。登山口で木の枝で作られた杖を貸していただく。
しばし急ごしらえのような登山道で汗をかき、主郭尾根の最先端にある曲輪の出丸跡、望笙峠、金吾丸跡を経て、林道の終点となる番所跡に。ここは、城郭主要部への検問所である入口。

 そして、次々と城の遺構が現れてくる。
 首据石は、初代亮政が天文2年(1533年)、六角氏に内通した家臣今井秀信の殺害し首を晒したと…。
 桜馬場跡は、多分ロケのために見晴らしが良くなるよう整備され、「江〜姫たちの戦国〜」のロケでは、お市の方と浅井長政が琵琶湖を見つめ寄り添った場所ということです。

番所跡;検問所 御馬屋跡 土塁で囲まれる
首据石 お江〜ロケ地

 そしてあがると「大広間跡」へ。

遺構には、「城郭遺産による街づくり協議会」の監修、「長浜み〜な編集室」の資料提供による、案内板が整備されとてもわかりやすいです。

 大広間は南北85m、東西35mの城内最大の曲輪で、御殿が建ち、土蔵、井戸もあったとされる。その上部に南北40m、東西25mの2段構造の本丸があり、北側の上段には櫓が付属された中心的建物があったとされる。

大広間跡 本丸から見下ろす大広間跡
大堀切 上部の曲輪

堀切から上部の曲輪を東へ回り込むと、石垣が残っている。丁度、石垣の間に咲いていた紅いツツジの花がなぜか物悲しさをかもし出す。

 本丸の北側で大堀切が作られ城郭は南北に分断される形に。
 その上には三段からなる「中丸跡」、「京極丸」、二代久政の引退後の居住地で秀吉に攻められ自刀した地「小丸跡」、そして主郭最上部の「山王丸跡」と続きます。

尾根最上部から大嶽を望む

 ここから一旦下って、清水谷への分岐を経て、山頂の大嶽に向かいます。

おおぶりなザイフリボクの花 もじゃもじゃしたアオダモの花

 鞍部から急な階段状の道を登ると、西池の向こうに伊吹山や、南に姉川合戦の地や横山、虎御前山などそれぞれ山城、砦の遺構を持つ湖北の風景が広がる。

主郭の尾根の向こうに西池、遠く伊吹山

 そして、495mの山頂へ。ここは大嶽城跡。初代亮政が大永3年(1523年)頃に築城したというもので、天正元年(1573年)8月に、朝倉の援軍がここにいたが、この北の焼尾丸を守っていた浅井の家臣浅見対馬守が寝返って落城したという。

山頂の大嶽城跡 山頂からの琵琶湖

 ここでゆっくりと昼ごはんを食べた後、帰りは麓の郡上に延びる尾根を下りました。
ここも、広くはないが気持ちのいい尾根道です。でも誰にも会いませんでした。

 この尾根の下部にある山崎丸跡は、元亀3年朝倉義景が浅井長政を助けるため出陣してここに砦を築き、向かいの虎御前山の織田信長に対峙したところ。

山崎丸跡

 そして、さいごは貯水タンクの横を通って、郡上の集落に下りました。
いいところです。小谷山。

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