岩崎山砦:賤ケ岳の合戦 高山重友(右近)の砦

主郭跡 主郭土塁跡
名称:岩崎山砦
所在地:長浜市余呉町下余呉
標高:209m
比高:70m
築城〜廃城:天正11年(1583年)3月〜4月
【岩崎山砦の歴史】

@天正11年(1583年)、羽柴秀吉方の摂津高槻城主のキリシタン大名高山重友(右近)が秀吉の命を受け築いた。
A同年4月20日、柴田勝家軍の猛将佐久間盛政が岩崎山砦の隣の大岩山砦を急襲した際に、高山重友は援軍せずに、羽柴軍の本陣田上山に退却した。
B佐久間盛政は、羽柴方から柴田方に寝返った堂木山砦にいた山路将監正国からの「羽柴方の最前線の砦に比べて余呉湖東の砦は守りが整っていない」旨の情報で、大岩山砦を急襲したとのことで、同様にこの岩崎山砦でも未完成であったらしい。
【岩崎山砦説明板】

 2009年12月作成の説明板。
@岩崎山西出郭、A西出郭主要部、B狼煙穴と推定、C犬走り「段状の道を築いて臨時城砦としている、D3段の犬走りで主郭を防御、E主郭中心部(低い土塁あり)、F高山右近がいた陣城の櫓台の跡、G3段犬走りで主郭を防御、H未完成の陣城、I東出郭、J円墳丘を利用した出郭

と、説明されているが、倒木やササ繁茂など未整備であるため正直よくわからない。残念です。
【探訪日】
日時:2011年9月18日  天候:晴れ
コース:余呉観光案内所13:40−岩崎山砦−大岩山砦−賤ケ岳砦−飯浦切通し−余呉湖荘−余呉観光案内所17:05
【探訪記】

 余呉湖の観光案内所前駐車場から歩き出し、江土集落の中にある賤ケ岳登り口の標識に従い、山道へ。
広く整備された道をググッと登ると程なく、山道左脇に「岩崎山砦説明板」が目に入る。AとBの中間地点の右側で砦跡に出会う。

 上記のように遺構の解説がされてますが、よくわからない。Aの西出郭は植林の中で、B狼煙穴はちょっとした窪み、E、Fの主郭は部分的に低い土塁が残った平坦地である。雑木で展望はよくない。H、Iの方面へも足を延ばしたが、ササが繁茂し不明確でした。

 何か出てきそうなので、この場をそこそこに切り上げ大岩山砦へ向かいました。

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