小谷山:本宮の岩屋・月所丸探訪コース
−(旧浅井町)北野〜本宮の岩屋〜月所丸〜浅井町池奥−

池奥の山中にある本宮の岩屋 月所丸の堀切

日 時:2011年12月3日(土)  天 候:くもり一時雨
コースタイム:(旧浅井町)北野14:17−こじき坂14:25−本宮の岩屋14:45/15:00−月所丸15:120/15:34−池奥16:03

名称:月所丸
所在地:長浜市
標高:360m
比高:210m
築城〜廃城:元亀元年(1570年)〜天正元年(1573年)
「本宮の岩屋」の歴史】

@旧浅井町池奥の山中にある「本宮の岩屋」は、物部守屋が蘇我氏との戦いに破れてここに隠れられ、近くの住民が食事等を運んでお世話をしたという。

A岩屋は、写真のように花崗岩の巨岩、真ん中に割れ目を造り、細身でないと入ることはできない、それも横向きに。

B中はかなり暗く、途中で一段低くなり足場がわかり難くなる。その奥には、6〜7人が座れる場所があるというが、今回はライトもなく、一人だったので危険回避。その奥の場所は鍾乳石やコウモリが天井からぶら下がっているという。

C毎年、地元の池奥ではこの場所で神事がなされているという。 (現地の「説明板」より)

峠のこじき坂(浅井三姉妹が野良着で逃げた?) 浄心平
本宮の岩屋入り口 岩屋の中から外を
【探訪記】

小谷山を巡る探訪、今年度最後は、旧浅井町の北野から本宮の岩屋を経由して、紅葉の月所丸、そして往路を再度、本宮の岩屋まで戻り、池奥に下山するコース。小雨もぱらつき、霧も出る中、会心の紅葉にや、思わぬ山の幸にも恵まれ、充実の午後のひとときでした。

 例によって、「みーなbP05」の紹介に基づき、北野まで車で行く。入り口がわからず、地元の「五先賢の館」で本宮の岩屋を尋ねる。受付の方から本当に丁寧に場所を教えていただき歩き出す。

 途中、北野のお寺さんの横に、この北野で831年(天長9年)に生まれ、天台宗確立期に活躍した相応和尚の功績を紹介した案内板があった。相応和尚は、15歳で比叡山に入り、天台仏教の基を築いた名僧と言われ、あの千日回峰行を創始し、自ら最初に成し遂げた行満僧です。時の皇族や朝廷に法話を説き、太政大臣藤原良房の実弟藤原良相から「相応」という名を受け、清和天皇から「大師号」を贈られたが、「わが師最澄、円仁こそそれにふさわしい人」とこれを固辞し、最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師という宣下が行われたといわれます。

 北野の西にある墓地横から山道(「立志坂」との看板あり)に入り、少し登ると、峠に。ここには「こじき坂」との名がある山道が残り、これは小谷城落城の際、浅井三姉妹が逃れ、池奥で民家の野良着を来て侍女とともにこの道を通って、北野に逃げてきたという山道ということです。

 そこから歩きやすい山道を登って行くと、本宮の岩屋への分岐に出る。案内に従って左に進む。一旦下って行き、木で作られた階段が終わると右に入る道があり、しばらくで「本宮の岩屋」に着く。(ボクは下り過ぎて引き返すはめに。)

 「本宮の岩屋」は、静かな山中にある大きな岩の中央が細く割れ、身体を横にすると何とか入っていける程度の割れ目があいている。ザックを置いて横向きになって入ろうとすると、何とか入れた。(ちなみにボクはウエスト76cm弱ですが、ベルトがあたるなどギリギリでした。) でも、中の先は一段低くなり、足場も悪く電気もないため引き返してきた。その奥には数人が座れるスペースがあり、コウモリが天井にぶら下がっているらしい。物部守屋はここに匿われたといわれる。
 
月所丸の紅葉 所丸西南の畝状の堀(これもわかいにくい)
月所丸の土塁 山の贈り物「なめこ」 おいしかったです。

 「本宮の岩屋」から先月行った小谷城の北の尾根に築かれた「月所丸」を再訪する。
薄い霧のヴェールをかぶった紅葉の月所丸は幻想的で、素晴らしい。誰もいない戦国の遺構を一人で満喫する。

 時間もたち、月所丸を跡にすると、ああっー!見ーつけた。ナメコ!枯れ木にゴボゴボッと笠を広げている。ありがたく頂戴する。(味噌汁にしてとってもおいしかったです。)

 帰りは再度本宮の岩屋を経由し、池奥に下山した。岩屋からは重機でゴイゴイッと作った幅の広い味も何もない道で、タッタッタと池奥に駆け降りました。
池奥からの小谷山 中央の鞍部が月所丸、ガスのあたりが本宮の岩屋


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