小谷山:変化に富んだ探訪コース
−須賀谷〜山王丸〜月所丸〜清水谷−

尾根上の岩場からの展望 月所丸遺構
日 時:2011年11月3日(木)  天 候:晴れ
コースタイム:須賀谷〜瓜生林道峠15:00−山王丸大石垣15:24−月所丸15:37−浄土平−月所丸16:05−清水谷入口16:34−須賀谷〜瓜生林道峠17:09  (*かなり駆け足タイムです)
名称:月所丸
所在地:長浜市
標高:360m
比高:210m
築城〜廃城:元亀元年(1570年)〜天正元年(1573年)
【月所丸の歴史と概要】

@元亀元年(1570年)ころ、浅井氏の同盟関係であった朝倉氏によって築かれた。
A2つの曲輪で構成され、曲輪の間にぶ厚いL字土塁がある。東端には2重の堀切とさらに東にもう一つ堀切がある。また、西端の北側には畝状堀があるが現状は小規模でわかりにくい。
B月所丸は、小谷城から山続きに越前に行ける「越前忍道」の途中に築かれている。
【探訪記】

 何回か目の小谷山。長浜みーな2010年1月発行のbP05「お江のふるさと小谷城」特集号を見ると、小谷山の知られざる魅力が満載。改めてこの冊子の素晴らしさを実感したところ。そこで、そこで紹介してあったコースを辿ることとした。

 今回の目的は、展望の尾根コースと、月所丸の遺構。時間もあまりなかったので駆け足の探訪となり、一周し車に戻った時は、もう暗くなっていた。

 コースは、まず車で、須賀谷温泉を通過し、瓜生へ通じる林道の峠まで登りここで駐車。ここから尾根沿いの山道に入る。なだらかに登り、しばらくで岩がゴツゴツした所に。浅井氏の山城の遺構が残る尾根の東面の岩壁や背後の水鳥で有名な西池や遠く伊吹山などの光景が印象的。
尾根道からの小谷山東尾根の東面 岩場も出てきて変化がある
 最後に急斜面をひと登りで、浅井氏の山城の詰めの丸である山王丸(標高398m)の東面の大石垣にひょっこりと出る。時間も3時半であるのか誰一人いない。山王丸の南の虎口は破城のあとがあり、石垣の石が散乱している。
 一旦、六坊にくだる。ここは、浅井氏領国内にある寺院の出張所が置かれた曲輪と伝えられている。そして大嶽と清水谷へ下る分岐から、右手に行くと月所丸への山道がある。
山王丸東の大石垣 山王丸の虎口(破城の跡)
山王丸の一文字土塁 六坊跡

 分岐から200mほどで月所丸につく。
 ここは、朝倉氏が築いたといわれ、明確な土塁と東端に2本ともう1本の堀切、そして西側に珍しい畝状の堀が残っていておもしろい。訪れる人も多くないようだが、見ないのはもったいない遺構です。

 遺構のからは東へ尾根上の山道が続き、浄土平と看板のある平地に着き、さらに道は続いていたが、今回は時間がないので引き返した。
月所丸の遺構
厚い土塁 二重の堀切
曲輪を区切るL字土塁 畝状の堀(よくわからない?)

 大嶽と清水谷への分岐まで戻り、清水谷へ下っていく。途中に、大野木土佐守の屋敷跡の石垣が苔むしていい感じで残っている。布袋岩、蛙岩、八畳岩、丸子岩など奇岩が谷道沿いに現れる。
 また、しっかりした竪堀が東側の尾根に残る。

 浅井家の当主などが日常生活を送った御屋敷跡や家臣団の屋敷跡(土佐屋敷跡のほか、三田村屋敷跡、山城屋敷跡、遠藤屋敷跡)などが六坊から麓まで点在している。
清水谷の遺構と自然
大野木土佐守の屋敷跡 蛙岩
丸子岩 竪堀跡

 清水谷の麓の駐車場も16時半ともなると、車もわずか。暗くなる前に須賀谷へ戻るべく、急ぎ足になる。
 須賀谷温泉を過ぎ、林道に入ると、賤ケ岳の合戦における七本槍で有名な片桐且元公ゆかりの案内板があった。且元公の父の孫右衛門の墓などが残る。ちなみに須賀谷の名は、孫右衛門がこの谷に鷹の巣をかける岩があることから「巣が谷」といい、ここから須賀谷となったという。

 すっかり陽も落ちた17時過ぎに林道の峠に置いた車に戻れた。なかなか充実の2時間コースでした。

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