2012.4.4

☆修復品

 しかし以前インターネットの取引において、品物が届き状態を確認している時に初めて、大掛かりな修復品であると気づいたことがあった。即刻売り主とのやり取りとなるのだが、ネットの売買では画像と商品説明の文が判断のすべてである。割れた破片を元通り何もなかったように直す技にプロの仕事を感じることはできても、オールドノリタケ専門店と銘打つ店が“見落とし(との弁解だったが)”とはいただけない。かなり良い出来の泥漿盛り上げ雀図花瓶だっただけに惜しい気もしたが、縁がなかったとあきらめた。そして、いくら欲しい品が入荷しても二度とその店とは取り引きしないと決めた。ネットの取引では、もちろんお互いの姿は見えないが、商品説明の内容やメールでのやり取り、梱包の仕方などから自ずと相手の人となりは知れる。そしてその如何が信頼というものだ。信頼できる売り主の扱う品に間違いはない。それが、幾度ものネット取引を通じて私が学んだことである。

 いいものは欲しい。しかし納得のいくものは値が張る。そんな時、完品などと欲張らなければ手に入れることは可能だ。自分が許せる程度のキズであればよい。そもそも50年、100年と経たものにキズひとつないことのほうが不自然というものだ。まして、修復されながら生き延びてきた物には、その時代の持ち主のその品への愛着が感じられて、むしろ好ましいと思う時もある。

 ところで、写真の大型花瓶(高さ40p)は、修復品と知って購入したものである。おそらく私にはそのような形でしか手に入れることができない品と感じたからだ。今回この画像を撮るにあたり、初めてじっくりと修復部分をチェックした。このサイズの花瓶が見事に割れた時の大きな落胆と、復元にかける情熱とが共に強く伝わってきて、むしろ傷自慢でもしたいような不思議な気分になったのである。