パイナップルは、新大陸で発見された当時(1492年)すでに中部アメリカ、西インド諸島に伝わっていました。そして、新大陸発見後、広く世界へと紹介されました。16世紀には、アフリカ・インド・南洋諸島の各地に分布。17世紀には、ヨーロッパ貴族の温室で品種育成も試みられ、18世紀には、南北緯度30度以内の熱帯・亜熱帯地域で広く栽培されるようになりました。
輸送や貯蔵に弱いパイナップルは、その後世界への伝播が遅れます。現在、世界の主要栽培品種のスムースカイエン種は、1819年フランス領ギアナから、フランス本国へ渡り、それからイギリスへ。アメリカはフロリダへ、そしてハワイへ、ハワイではジョンキドウェルがパイナップル缶詰工場を1892年に設立。一躍大産業の素地が作られます。缶詰用原料として認知されたスムースカイエン種は、1923年には台湾、ここ沖縄には1927年に伝わりました。
1927年本部町伊豆味でスムースカイエン種が導入栽培され、石垣では1935年台湾からの入植者により栽培が始まりました。
1938年には石垣市に缶詰工場も建設され、県外移出が始まりました。しかし、第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けます。
戦後、石垣島では1946年から、沖縄本島では1952年から栽培が再開されます。その後パイン生産は急増し、1960年には、サトウキビと並ぶ二大基幹作物として、沖縄の経済を支えるまでにパイン産業は成長します。
1970年代に入って、オイルショック、冷凍パイン輸入自由化、経済不況の影響を受け、最盛期1969年(年間10万t)の6割程度までに落ち込みます。
その後もパイン産業は、パイン缶詰の需要低迷・安価な外国産パイナップル缶詰の価格攻勢等の影響を受け、ついに1990年には沖縄のパイン生産の需要の大半を占める、パイン缶詰の輸入が自由化されます。ウルグアイラウンドによる、このパイン缶詰自由化により、沖縄のパイン産業は大きな打撃を受けます。