榊原のものしりになろう

=榊原ものしり講座から=

*昔から榊原に伝わる行事*

正月さん

「正月7日盆3日 半夏生1日は張り合いない」

これは半夏生の歌ですが、この歌のように正月は1年で一番の長い行事です。最近では3が日がお正月みたいになっていますが、榊原では7日の山の神/七草までが正月らしく、すっかりお正月の気分が抜けるのは15日の小正月でしょう。それまでは誰もが「明けましておめでとう」のあいさつを交わしております。
昔は正月さんをもっと大事にして楽しんだものです。
子供にとっては待ちに待った正月さん。こんな歌が歌われていました。

正月さんはええもんや
赤いべべ着てチャラ履いて
下駄のハマよな餅食って
雪より白いママ食べて
木っ端みたいなトト添えて
正月さんはええもんや

(平成19年1月5日の講座から) 
 

 

山の神


行者さん。
庚申さん。
天王さん。
たくさん集落ごとに行事がありました。
でも、だんだん少なくなりました。
その中でも「山の神さん」は今でも...

榊原には「山の神」がたくさん祭られています。
そして山の神さんはどこでも2体。
昔から子供の神さんだと言われて子供たちの遊び場にもなっていました。
ここでは毎年1月7日に山の神のカギ引き(神事)が行われます。

昔から山村では田と同様に山は日常の生活に欠かせないものでした。
山を守り、山から私たちを守ってくれる山の神です。
年に一度は山の神を山から里に呼び、里人と一緒に新年を迎えよう。
男神・女神は子孫繁栄の願いもあったのでしょうね。

榊原各地で共通することは...

 1.1月2日に山からカギになる木を伐りふぐりを付けて山の神に奉納する。
 2.1月7日朝、講の人たちが山の神に集まる。そこで...
 3.善の綱(しめ縄)を張り、奉納されたカギでそれを引きちぎる。
 4.去年のカギなどを薪にして火をたく。
 5.楕円形の山の神鏡餅を薄く切って餅を焼く。
 6.餅はその場所でも食べるが家で七草粥に入れて家族全員で食べる。
 7.カギ引き行事の後「どんぶり」といって会食をする。

各講によって少しづつやり方も違う。
これは榊原一斉に開催されるので他の山の神を見に行くこともなかった。
そのために独自の工夫や簡素化で違っているのではないかと思う。
そこで講座の中で話が出たそれぞれの特長をまとめてみました。

上のかわ(榊原町1区)
まず神前に御神酒を供え(これは最近になって)、去年のカギを燃やした熾き(おき)で餅を焼いてからカギを引く。
餅を食べるために調味料も各自持参している。カギ引きのあと善のツナを燃やして終了。

丸か谷(榊原町1区)
去年のカギを燃やした熾き(おき)で餅を焼いてからカギを引く。
酒、調味料はなく、カギ引きのあと善のツナを燃やして終了。
どんぶりは次の日曜日。

東 山(榊原町2区)
「上のかわ」と同様ですが、ヤド(担当の家)は重箱に料理を詰めてきて全員に振る舞う。

一の坂(榊原町4区)
ここの地域は4つの隣組からなっており45戸の大きな講です。組に2人の年番8人が集まり1月2日に清掃と7日の準備をします。
火をたき、善の綱を張ってカギを引いて餅を焼く。どんぶりは昔からなし。
またここではカギを引くときの歌が残っています。

 ♪山の神さん、山上権現ヨーイショ!
   早稲(わせ)もとうづき、ヨーイショ!
    中手(なかて)もとうづき、ヨーイショ!
     晩稲(おくて)もとうづき、ヨーイショ!
      ヨーイショ! ヨーイショ! ヨーイショ!

 (注)とうづき=斗付きで一束に一斗の米が付くという願い。

(参考)*話*餅の好きな山の神

 

 

湯立神事「みゆ」


 榊原の射山神社は別のページでも紹介していますが、主祭神はオオナムチノミコト・スクナフコナノミコトが祀られており、温泉のお宮さんでした。
 昔は榊原にたくさんのお宮さんがありましたが、明治の終わり頃に村(町)内のお宮さんをこの射山神社に合祀しましたので、榊原中の人はみな氏子になっています。
 この射山神社では江戸時代から続く伝統の湯立神事「御湯=みゆ」が行われていました。
 しかし昭和になってから間もなく途絶えてしまいましたが、同58年(1983)に現在の神主・宮口重明氏のご尽力で復活し、現在に至っております。
 湯立神事は他の神社でも行われていますが、射山神社はちょっと違うのです。
 榊原温泉ななくりの湯と神社境内から湧く長命水を混ぜ合わせて大釜で沸かせるのです。
 その熱湯を青山高原に自生しているクマザサに含ませ、参拝者に振りかけます。
 文字通りの健康と長命の祈願なのです。

 また同時に氏子のボランティアのみなさんで餅つきをして参拝者に振る舞われています。

*当日の神事の模様は写真をクリックしてください。

 

 

かんこ踊り


 榊原には昔から五つの「かんこ踊り」があります。いずれも数百年前から踊られるようになり、それぞれの区で発達してきました。
「何区の踊りがええの?」と問えば、必ず答は「そりゃうちの踊りさ」と返ってきます。
 どの区でも、うちの踊りが一番いいのです。それだけに榊原のみんなが集まる夏祭りで見ていただくのは大変です。他の区の方から見ると「よう踊らんすけど、やっぱりうちの踊りやわさ」となるのです。
 榊原一区の踊りを見てみますと、大太鼓を叩くのは小学生。胸に締太鼓と鳥の羽を頭にかぶる「かんこ」は中学生から三十うん歳までです。
 この踊りの見所は八人のかんこです。良く跳ねて踊るのがいいのです。四十にもなると無理ですわ。笠をかぶりザイとうちわを手に歌を歌うのが「じゅうたい」といいますが、まああまり自慢できません。でも一生懸命に踊りますので、お世辞で結構ですので拍手をください。

*一区のかんこ踊りをまとめました。写真をクリックしてください。

(平成19年8月3日の講座から) 
 

 

とちべ


 陰暦の10月15日の夜、まん丸に輝く満月、榊原では昔から十五夜さんは中秋の名月ではなく、それより2カ月も遅く十五夜さんを祝っていました。
 平安時代から中秋の名月を十五夜さんと呼び、五穀豊穣祈願や豊作を感謝してお月さんにお供えをしたようですが、榊原では中秋にはまだお米の収穫は終わっていません。早稲や晩稲があって10月から11月が収穫の時期でした。
 11月の満月の晩には準備した「とちべ」をもって子供たち集まります。「とちべ」は新しい藁(わら)で作った鬼の金棒のような形で、しっかり作った「とちべ」は地面をたたくと「ポーン、ポーン」といい音がします。
 その「とちべ」を手に子供たちの集団は各家をポーン、ポーンと鳴らしながら回ります。各家では準備してあるお菓子などを子供たちに渡します。

♪十五夜の晩に重箱ひろて(拾って)
  開けてみればホコホコ饅頭
   つかんでみれば・・・・・

ポーン、ポーンの音に重なって、こんな歌が聞こえてきます。
また、新婚さんのお宅には、こんな歌も準備されてます。

♪こちの嫁さん起きてかな 寝ーてかな 新わた叩いて祝いましょ

女の子も男の子も、ガキ大将を先頭に榊原の十五夜さんは賑やかでした。
最近も少し形は変わりましたが、一部の地区で続いております。

(平成19年9月7日の講座から) 

 

 

庚申講


・60日に1回来る庚申の晩
  講の宿の家に集まって(常会に併せるところもある)庚申の掛け軸 の前にお供え物をして会食・お酒などで一番鶏が鳴くまで寝ずに続ける。

・七庚申の晩
  七段の竹の棚を作り、ろうそくと小皿を七個ずつ飾るのが加わる。

 

行者講


・毎月6日、講の宿で行者の掛け軸をかけ、前でりんや鈴(錫杖の頭)を使って行者念仏または般若心経を唱える。
・ また1年に1回は行者道へ出向いて酒と肴を供える。

 

天王講


・ ろうそくや提灯で飾り、子供にはお菓子を、大人にはお酒を 振る舞う。
・ また2区の自治会では8月16日を天王祀りとして夏祭りを 兼ねている。

以上3件(平成20年7月4日の講座から) 

 

節分


 節分は、各季節の始まりの日(立春・立 夏・立秋・立冬)の前日のことで「季節を分ける」ことをも意 味しています。特に江戸時代以降は立春の前日のことを指すようになったようです。
 榊原では豆まきの他にヒイラギの枝の先にいわしの頭を付けたものを家の玄関に 挿す風習がありますが、最近は少なくなってきました。これは邪鬼を払うためで、ヒイラギはトゲのある 葉が邪鬼を刺すので、その進入を防ぐのでしょう。いわしの頭は邪鬼がその臭気を嫌うという意味もあるし、またいわしの頭で邪気を誘ってヒイラギちくり、いずれも追い払うのが目的のようです。
 最近は恵方巻がテレビ等の影響で流行り出しましたね。
 そのほかに春から始まる新しい年ということで「年越し」ともいって、神棚に正月と同じようなおせちと炒り豆を供えます。この豆は最初に雷が鳴ったときに食べる習慣もあります。

(平成21年2月6日の講座から)