餅の好きな山の神  
餅の好きな山の神
毎年1月7日は山の神

 私の住む榊原では、正月7日は山の神行事でにぎわう。
 榊原の山の神は、ほとんどが集落別に祭られており、神前で火をたく。餅(もち)を焼き、木の枝で作った大きな鉤(かぎ)が、張られた善の綱(長いしめ縄)に掛けられ、みんなで引っ張って切る。やり方は場所によって少しずつ違うようだが、夜明けの、まだ薄暗いころから、火の手が上がる。榊原では昔から正月の風物になっている。
 辞書で「山の神」を引くと、(1)山を守り、山をつかさどる神。(2)妻の異称。と出てくる。
 山をつかさどる神である山の神は、春になると里に来て、田の神になると説明されている。これは柳田国男氏の調査を基に、どの辞書にも書いてある。だが、ここ榊原では、そのような言い伝えは残っていない。
 田の神説はないが、山の神の行事が済むまでは決して山にはいるな(山仕事をしない)と言われていた。だから、山をつかさどる神であることは間違いではあるまい。
 昔、地元の古老からこんな話を聞いた。
 10月は神無月である。これは全国の神様が出雲に集まり、神様の大会が催される。そのために出雲以外では神様が居なくなるそうだ。
 山から出たことがないという山の神ご夫婦は、初めての大会参加でおどろくことばかり。きらびやかな神殿。指先ほどの神や、天井に頭が届くほどの大きな神。会場正面には大鏡餅が飾られているが、山の神さんは初めてみる鏡餅が不思議でならない。
 大事な議事を済ませパーティーが始まると、気になっていた鏡餅が全員に振る舞われた。初めて食べる餅−、ほっぺたが落ちそうだ。
 里人が供える団子しか食べたことがなかった山の神さんは、隣に居合わせた物知りそうな神に「餅はどうやって作るのだ?」と聞くと、「杵(きね)と臼(うす)で、よくつくのじゃ」という答えが返ってきた。
 早速、山の神さんは厨房(ちゅうぼう)にあった杵と臼を失敬して、山に帰ってしまった。山の神夫婦は昼夜を問わず、餅つきに精を出し、おいしい餅をたくさん作り続けたそうだ。
 そのことを知った出雲では、神の身でありながら盗みをするとは何事ぞと怒り、有無を言わさず山の神さんはふるさとの山に閉じこめられ、謹慎の身となってしまった。
 それを知った里人は、団子しか供えなかったことをわび、春(新年)になったら餅を供え、神さんを大きな鉤で山から出して、みんなで新年を祝おうと、この行事が始まったと言うことだった。
 昔からの行事はそれなりに面白い。何かと理由をつけ、仲良くふれあいの場を作っている。いつの時代にも必要なことだろう。

話:増田晋作(中日新聞・みえ随想 平成6年1月10日掲載)