榊原のものしりになろう

=榊原ものしり講座から=

*榊原温泉あれこれ*

 榊原温泉は三重県の中央部・津市の西部に位置し、巨大風車が立ち並ぶ青山高原・笠取山を源流とする榊原川に沿っていくつかの泉源があります。そこから湧き出る温泉は弱アルカリ単純泉といい、無色透明でつるつるした肌ざわりが特長で昔から人気があり、最近では美人の湯として紹介されています。
 現在、榊原温泉は市の温泉保養館「湯の瀬」のほか、宿泊施設をもつ温泉旅館は9軒と、温泉を治療に使っている病院が3カ所、特別老人ホーム1カ所あります。
 このような榊原温泉になったのはそんなに古くからではありません。特別老人ホームは平成になってから、病院もその少し前までは1カ所、旅館だって終戦の年(1945)は3軒でした。では、その前はどうだったのか、時代をさかのぼって主な出来事を紹介しましょう。

榊原温泉のうつりかわり
 昭和11年(1936)12月20日に一志郡榊原村(現在の久居市榊原町)では温泉復興祭が盛大に行われました。榊原の西のはずれから東の村境まで8.5キロの道のりを、小学校全校生徒が日の丸の小旗を手に「温泉復興バンバンザイ」と歌いながら旗行列が通り、式典を始め数々のイベントが繰り広げられました。しばらく静かになっていた榊原温泉を元気にしようという村おこしでした。
 ほんとうに静かだった榊原村に電話が引かれバスが走りました。白山町(一志郡)との村境の佐田の峠に自動車が走る道路(現在の県道亀山白山線)が開通し、近鉄佐田駅(現在の榊原温泉口駅)に連絡することで、関西方面からのルートが開かれました。

江戸時代は湯治場ブーム
 日本の古いといわれる温泉の多くは江戸時代に発掘されているようです。300年から400年前です。榊原も天正16年(1588)温泉の神様・射山神社を貝石山(1,500万年前=新生代=の貝の化石が多く出ることからその名がつき、県の天然記念物に指定されている)から現在の場所にうつし、温泉大明神を取り入れた大きな湯治場を作りました。(下の図は江戸時代に描かれた湯治場の絵地図です 〜温泉来由記より〜)

湯治場に掲出した心得(條々)の原稿

 西は大阪・堺から、東は愛知県と、遠くから利用者がありました。特に奈良や京都からの脇街道として、お伊勢参りを兼ねた湯治も十分に考えられます。地理的にもすぐ北となりの美里村(安芸郡)を奈良街道・伊賀街道(R163)が通り、南となりの白山町は初瀬街道(R165)が通っています。また榊原から伊賀に越える古道には「いがごへ」の道標が残っています。

清少納言のお墨付き
 枕草子に「湯はななくりの湯」とあり、「ななくりの湯」とは現在の榊原温泉を指します。でも「ななくりの湯」は長野県上田市にある別所温泉も同じ名で知られています。都では鎌倉時代から室町にかけて和歌がよく歌われていますが、夫木和歌抄(1310)の温泉の部に...

一志なる岩根に出ずるななくりの今日はかいなき湯にもあるかな  (橘俊網朝臣)

一志なるななくりの湯も君がため恋しやまずと聞けばものうし (大納言源経信卿)

と...あり、「一志のななくり」と地域をはっきりと指してるところから、都でいう「ななくりの湯」は榊原温泉を指していることは間違いのないところです。
 でも千年も昔から温泉が湧いていたのでしょうか。それは温泉の神をまつる射山神社(祭神:おおなむち、すくなひこなの二神)が証明してくれます。千年以上昔に国のいろんなことをまとめた延喜式(927)という本がありますが、その中に全国の格式ある神社をまとめた神名帳があります。榊原の射山神社はその中に記録されています。すると、温泉はいつの時代から湧き続いているのでしょうね...。

神宮参拝の湯ごり場
 実はまだあるのです。ぎょうぎょうしくも温泉の神を祀る温泉神社(後に射山神社となる)を置いたことや、枕草子や和歌に詠われるようになったのはなぜでしょう。
 伊勢に神宮が祀られるようになってからは都から伊賀を越えての参拝でした。当時は一般庶民には縁遠い存在で、天皇に代わって神宮に仕えるために、皇族女性の中から選ばれた斎王 が伊勢斎宮に派遣されていたころです。
 伊勢に入ったところで身を清める。現在では神域に入るときに手洗いで清めますが、古くは水をかぶり水垢離(ごり)をしましたが、温泉があるところでは「 湯ごり 」をして身を清めるのが慣わしでした。これは入浴の起源は神事からだったことからも、お解りいただけるでしょう。
 榊原の温泉「ななくりの湯」で湯ごりをして神宮に向かったことから、宮中の人たちには馴染みの温泉だったわけです。ずいぶんと古い話ですね。

 榊原温泉はそんな歴史と、泉質の良さが自慢です。

(改:2007.12.28) 

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