消防よもやま話パート2

          

ここに書かれていることは、今まで消防士として経験した事柄です。大方真実ですが、多少脚色してあります、特定の個人を対象としたものではありません、軽く読み飛ばしてくださいね。

警察と消防

 昭和6○年5月○日5時、伊吹山に山菜を採りに出かけた地元のおばさんが1人足を滑らせて谷底に転落、動けなくなったとの通報で出動する。
 現場は伊吹山三合目から北側の谷で実に険しく深い。日没を考えとにかく明るいうちに現場到着することを目指して
息を切らせて斜面を駆け上がり、駆け下りる(カモシカ?いや猪のように!)ようやく発見。右大腿部に顕著な変形がみられ骨折が疑われる顔は苦痛でゆがみ、声もか細く弱い、2〜3人ではどうにもならないので、明るいうちに持参したザイルで谷を下るルート設定、担架に患者を固定し応援を待って人海戦術で少しずつ谷間を降ろし、緩やかになったところで山の斜面を横断することにする。
 とっぷりくれた真っ暗な谷底に応援の地元消防団員・救助隊員がひとかたまりとなって声を掛け合い協力しながら救助作業を続け、苦闘しながらも谷から脱出、3合目に続く斜面をジリジリ登っていく、道もなく足場も悪い‥‥担架を持つ腕がしびれそうになる、
「あと200メートルほどや、もう少しやで」と声を掛けて合って耐える。

 上の方から多数の人間の気配とライトの灯りが近づく、警察の機動隊もでてるんやな‥‥まもなく10数名の屈強な隊員が現れる、「ご苦労さんです!ここからは私の隊が変わります」と担架を取り囲んで交代する。それから5分、救急車の待つ現場本部近くまで来ると機動隊の指揮者が隊員に「姿勢を正せ」の号令、???なんや???一斉に取材に着ていたマスコミのカメラフラッシュ‥‥‥翌日の新聞には滋賀県警機動隊によって谷底から救出されたBさんとあった。
                     
いつも、おいしいとこだけ持っていくやからな〜

偶然の発見

 199×年10月 深夜 1 時、山東町○○で火災発生。
見事に炎上中、これは全焼やな、無理せんと隣の家に燃え移らないようにしてよしとせなと自分に言い聞かして比較的余裕の指揮中 
「おばあちゃんがおらんへん、さがして〜 ! 」の叫び声、アチャ〜着いたときあんなに何度も「逃げ遅れた人はいませんか、家族は揃っていますか」と聞いたのにと口の中でののしりながらも、体はパブロフの犬のように声の方へ走り出す。

 人命救助は何を差しおいても最優先やし、消火活動の基本中の基本や、「お〜い要救助者アリ情報」 家の中の検索開始を下命する。ところがこういう時に限って新人しか近くにいない、分隊長は何処やと怒鳴ったが、それぞれ散ってしまって見つからへん。全員で10名ほどのチームやから、余裕があるはずがないし後続の応援隊はまだ到着していない。
「え〜い俺が行くから援護注水の準備や‥‥」とせきたて、呼吸器を背負って家の中へ恐る恐る進入、階段を見つけたがいきなりガシャンと落ちた。  ヤバ〜ッ  それではと外からはしごを掛けて2階へ、窓を覗いたらいきなり炎と煙が噴き出してきて何も見えん、それにめちゃ×2 熱い、こらあかんとさっそく逃げにかかったが煙と炎で上ってきたはしごが見つからん、屋根にはいつくばってじっとしていたが、こんどは体がビリビリする、電気の引込線が垂れ下がって感電しているんや、「関西電力は何しとる」と思わず声がでる。ほんまにあかんわ、絶対絶命やこのまま下へ落ちるしかないなあ、下に何かあるとヤバイなあ、端正な顔と???テニスの利き腕だけは守らなあかん、どういう姿勢で落ちよかなと考えるがなかなか決心がつかない。そうこうしているうちに少し風向きが変わり、ようやく煙の中から体が現れた、よっしゃ今の内に早よ逃げよと思って起き上がり最初に取り付いた窓の下を見ると捜していた行方不明のおばあちゃんの焼けこげた黒い塊が…偶然ってあるもんやなあ、ここまで逃げてきて力が尽きたんやな…… 合掌 ………
                          大きく手を振り発見を告げる。

「あ〜あ生きててよかった」今日はもろにヤバかった、家に帰ってこの話をしたら、入院特約付きの生命保険をもう一つ増やされてしもた。

 ト〜バン

(新入職員の目から見た消防署)

 私は、消防署に入って2年目の若手、勤務分担表には今日も当然のようにト〜バンのところに名前が‥‥
 
8時25分大交替、全ての車両をブイブイ言わして点検し昨日のチームから引継を受ける。帰る奴は実にハッピィな顔をしている、これから24時間はフリー、休日が来てる奴は72時間休める。
 体操の後ミーィティング、1日の予定が当務隊長から伝達される。
ト〜バンの私は早速全員のお茶を入れる、誰の茶碗かはチラッと模様を見ただけでわかるで、これもスキルの一つやろか。
 
AM、ポンプ車・梯子車・化学車などに積んである装備を点検したり、無線の試験をしているとあっという間にお昼、湯を沸かし、茶碗を洗う。 PM、訓練開始、装備約20kgを身に着け放水訓練、梯子を上がったり降りたり、モタモタしていると「体力は全ての基本や!キビキビ動け!」の励ましのお言葉が飛んでくる。この間にも救急出動3回、最近は高齢者の搬送がめっきり増えた。
 あっ!もう
5時や!飯を炊かなあかん。米を丹念にといで手首のところまで水を入れる、この方法が不思議と一番巧く炊けるんや。前に一回スイッチを入れ忘れ6時になっても炊飯器が冷たかった時は、「誰がト〜バンや!」の声が響き、どこに隠れたろかと思ったほどびびったで、人間食い物のことは実にシビアになるもんやな。
 日勤者が帰り夜の待機、水利・地理、救急・救助の学習、みっちりしごかれる。
深夜の出動は実に堪える、仮眠中にベルが鳴ると飛び起きて体をアイドリングなしで一気にフルパワー状態にもっていく。心臓には最悪やでこの瞬間、心臓病の人やったらもたへんと思うわ。今夜も仮眠はできそうもない、早く家に帰ってゆっくり寝たいなあ。
 もうすぐ、新人が入ってきて
ト〜バンも卒業や、今年は若い女の子が採用試験の二次まで残ったので、もし採用されたら女に甘い先輩がト〜バンなどさせず、もう一年おはちが回ってくるのではと、いらん心配してしもたわ。消防署の仕事は一年365日盆も正月もないし、昼夜の区別もない、今日は何曜日かも忘れてしまう程や、見かけほど楽ではないし、けっこう危ない。でも達成感はあるし、何よりやったことの結果が見えるのがええな。お〜い○○君コピー頼むわ! は〜い。
以上かわいそうな当番になりかわって、消防署の1日を紹介しました。

 ジンクス

 ジンクスを広辞苑で引くと、(jinx:アメリカ)縁起の悪いもの、また、広く因縁があるように思われる事柄とあります。私の勤める消防署にも20年以上受け継がれ、そして「かまいたちの夜」のように怖れられている独特のジンクスがあります。
それは‥‥‥                                      
                                          

庁舎の周りの排水溝掃除をすると、近日中に火事をもらう
仮眠室の布団を外に干すと、大きい事故が発生する
                    ‥‥‥‥というものです。ひぇ〜怖い!          

このジンクスがいつ頃できたのか定かではありませんが、不思議に高い確率で的中するのです。それで汚れがたまって仕方なく溝掃除をしても、交替チームからは露骨に嫌〜な顔をされ、「なんや〜火事を押しつけるつもりか〜」と嫌みを言われ、自分のチームが待機の時火事が発生すると、それ見たことかと嘲笑されるのです。
 ○年前、2名の新入職員に車庫掃除を命じたところ、気を利かせて排水溝の掃除まで始めたことがありました、「お〜い、そこの掃除はしたらあかんよ。」とも言えず、気を揉みながら見ていたところ、この掃除が終わるか終わらないうちに、火災を知らせるベルが鳴って、キリキリ舞いさせられました。
 ちなみに消防では火災に出場(なぜか、出動とは言わずシュツジョウという)すると、火事をもらったというような言い方をします、別に喜んでいるわけではなく、火災が発生すると原因調査とか、報告書作成とかの仕事がどっと増えることと、火事(火災)に対しての畏敬の念から来ているものと理解しています。民族・言語学には全く縁のない、私の個人的な見解ですが‥‥‥どうせもらうのなら、美人の笑顔給料だけにしておきたいものです。いや、宝くじの当たりも欲しい。

 消防警備

 滋賀県で新幹線が唯一停まる駅が米原駅、世間では新幹線が止まる所が市にもなっていない小さな町とはとても思えないのか、司馬遼太郎のある歴史小説にも中山道沿いの米原、現在は米原市‥‥云々と誤って記述されている箇所がある。
 しかし、米原が今も陸上交通の要衝であることは間違いなく、天皇陛下、皇太子などの皇族方もときおり米原駅にお越しになり、そのたびに
消防警備という仕事が与えられる。 消防警備は警察のような仰々しさ、ものものしさはないが、警備本部を設け、通過される時間帯はガソリンスタンドも給油停止にし付近の火災予防を徹底するのである。通過の際は「敬礼するな」とか「身を乗りだすな」とか細かく注意されたが、ぜひこの機会にお顔を拝見しようとする思いの方が強かった。
 昭和天皇が山東町の全国植樹祭にこられた際には、にこやかに帽子を振る天皇・皇后両陛下と、まるで馬車を操つるように背筋ピンと伸ばしてナンバーのないリムジンを運転する運転手の姿が妙に印象に残っている。
 警備が無事終わると、県を通じて
煙草などが下賜されることがあった。煙草は菊の紋章が入ったチェリーであり、それ以外の銘柄にはお目にかかったことがない。(もっとも、数えるほどしかもらってないが‥)なぜ、チェリーだったのだろう、マルボーロやラッキーストライクではやはり具合が悪いのだろうかと思ったりしたものだ。
 これだけ禁煙が進んだ社会となっても、御下賜の煙草はまだ存在するのだろうか、禁煙10年目を迎えた今の私にはどうでもよいことではあるが‥‥

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