妙法山 阿弥陀寺とは?


今から1300年前、大宝三年(西暦703年)唐の国 天台山の蓮寂上人というお坊様が日本に渡って来られ、この熊野にたどり着きました。上人は四方を見渡せるこのお山の頂上がとても気に入って、ここで修行をすることになったのです。
妙法蓮華経というお経を写経して山頂に埋め、立っている木をそのまま彫ってお釈迦様の仏像を安置しました。その時からこのお山は、お経の名前をとって妙法山と呼ばれるようになりました。

その後、空海上人(弘法大師)が高野山を開かれる前の年、弘仁六年(西暦815年)に妙法山で修行をして、西方に有るという阿弥陀如来の極楽浄土への入り口として山腹にお堂を建てて阿弥陀如来をご本尊としたため、阿弥陀寺と名づけられたのです。
それから現在に至るまで、有名無名のお坊様達や行者達をはじめ熊野に参詣する沢山の人々が、それぞれの求めるものを探してこの妙法山に登って来ました。
ここではお山の各お堂をお参りしながら
妙法山(阿弥陀寺という名前よりも妙法山というお山の名前のほうが有名なお寺です)の紹介をして行きたいと思います。



熊野大鳥居門
妙法山の山門です。山の中に造られた古いお寺の山門は鳥居になっている事が時々あります。

それは、新しく仏様をまつるお寺を造る時、そのお山に元からいらっしゃる
神様に敬意を払いご加護を頂く為だと言われています。

また古いお寺によくあるようにこの山門も真南に向かって建てられています。

画像をクリックして下さい。




熊野大鳥居



本堂 (御本尊 阿弥陀如来

昭和56年9月原因不明の火災で全焼し、新しく建てられました。

元の御本尊阿弥陀如来像は鎌倉初期の作で、有名な運慶 快慶の慶派の作でしたが
残念ながら焼失してしまい、写真集に掲載されていたお姿を元に、今は亡き京都の大仏師
松久宗淋師に復元して頂きました。

毎日お参りの方々の御先祖のお供養等で読経の声の絶えることのない本堂には、
御本尊の他に不動明王、千手観音菩薩、役の行者等がおまつりされています。


本堂

内陣

大壇

本尊阿弥陀如来

ひとつ鐘
「亡者の熊野詣で」と伝えられ、人が亡くなると幽魂は必ず妙法山に参りこのひとつ鐘を撞くといわれます。
表面には弘法大師の書と伝えられる丸くかたどられた南無阿弥陀佛の文字と「空海」の銘が有り、
現世の安穏と先祖の菩提の為に生前一度は撞いておく釣鐘です。

鎌倉時代の元亨釈書という本にこの事が書かれていて、現在の釣鐘は江戸時代
延宝6年(約330年前)に再鋳されています。


一つ鐘



子安地蔵堂
子供の健やかな成長を願う親心はいつの時代も同じです。

お地蔵さんによだれかけを奉納して行かれる方々で賑わいます。
また、子供が欲しいと願うと不思議なくらい願いが叶えられる霊験あらたかな お地蔵様です。

5年前より取り掛かっていました再建工事がようやく終了し、お地蔵様を永くおまつり出来る
立派なお堂が完成しました。
新しく千躰のお地蔵様をご賛同頂いた方々に奉納してもらい、現在800体余りになっています。


子安地蔵堂



三宝荒神堂
妙法山の鎮守様 三宝荒神をまつってあります。

木造の荒神像は珍しく、三面六臂の憤怒尊で、紀州徳川家初代藩主
徳川 頼宣公が勧請した神様です。



三宝荒神堂


火生三昧(かしょうざんまい)跡
平安時代 法華経の行者であった応照上人は、その経の一節にある、すべての衆生の罪とがを
一身にかぶり火をもってみずからの体を焼き尽くすという薬王の姿に打たれ、食物を断ち松の葉
草の根を食べて苦行を重ね自らも紙の衣を着て火生三昧の行を実践しました。

上人の身体が火に包まれても読経の声は最後まで穏やかで、辺りにはまばゆいほどの光と
鳥たちの賛嘆の声が満ち溢れ、その煙は三日三晩熊野灘を漂い続けたと言われます。

これは平安時代末の「本朝法華験記」という書物に記されていて、現代の価値観では
計り知れない壮絶な上人の衆生済度への想いが込められています。



火生三昧跡


奥の院浄土堂
海抜749mの妙法山の頂上に立つお堂でお山の名前の由来に成った1300年前のお釈迦様が
おまつりされています。
唐からやってきた天台山の蓮寂上人というお坊様が、妙法蓮華経を書き写して土中に埋め、
その上に立った木をそのまま彫ってお釈迦様を安置したのです。

本堂から約800mの山道を登って行きながら、まるで別の世界に紛れ込んだような
不思議な感覚を体験出来る場所です。


奥の院への参道


浄土堂


釈迦如来


納骨髪堂
平安時代末から鎌倉時代にかけて盛んに行われた俗に「蟻の熊野詣」と言われる熊野参詣の
旅人達が、阿弥陀の極楽浄土へ行ける事を願って毛髪をここに納めました。

その後、室町時代から現在に至るまで亡き人の菩提を弔う為に人々が遺髪や遺骨を納めて
行かれます。
これを「お髪上げ」と言って特に紀南地方の人々はその宗旨に関わらず、
必ずと言って良いほど妙法山に来られるのです。


納骨堂



弘法大師堂
室町時代、永正6年(約500年前)に建てられたお堂で、弘法大師42歳の時のお姿(厄除け大師)
と伝えられる等身大の坐像がまつられています。

毎年4月20日の夜(御影供)と6月15日(青葉祭り)には沢山の参詣者で賑わう中、
普段は閉ざされている厨子の扉が開帳されます。


弘法大師堂



妙法山の御詠歌←御詠歌をお知りになりたい方はこちら


妙法山は単なる観光地ではなく、千年以上もの間沢山の信仰に支えられてその姿を往古のままに残しています。
ぜひ一度ご来山下さい。
必ずや何か心のお土産をお持ち帰り頂けると信じております


ご来山道順

JR紀勢本線 紀伊勝浦駅より車で25分。那智の滝からその先にある
県道46号線(旧那智山スカイライン)
を通って約10分です。
バスが運行していませんので、タクシーとなりますが、その場合貸切にして
値段交渉してください。かなり安くなります(笑)
自家用車の方は国道42号線より那智の滝を目標にして来られれば、
お分かりになりやすいと思います。

詳しくは下記までご連絡下さい。

妙法山 阿弥陀寺 寺務所
TEL 0735-55-0053 FAX 0735-55-0726