米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年3月23日深夜、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人は、那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に配属されました。
3月26日、米軍は慶良間列島に進攻、4月1日には沖縄本島中部西海岸に上陸。米軍の南下に従い日本軍の死傷者が激増し、学徒たちは後送されてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬に追われ、仮眠を取る間もなくなっていきます。
ひめゆりの塔について
←沖縄戦で従軍看護婦として犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の遺骨を祀った慰霊塔。併設の資料館には学徒隊の遺品や資料が展示されています。
ひめゆり平和祈念資料館から100mほど南にある第一外科壕跡。ひめゆり学徒隊解散前日の1945年6月17日に米軍機の直撃弾が落下し、多数の看護婦や学徒が即死した。