かつて琉球(りゅうきゅう)王国だった沖縄は、中国や日本、東南アジアのえいきょうを受けながら、自分たちの芸のうをつくりあげてきたといえます。琉球王国時代には、踊奉行(おどりぶぎょう)という役人をおくほど、国をあげて芸能に力を入れました。
 沖縄の伝統芸能は、「宮てい芸能」と「民ぞく芸能」の二つにわけられます。
 「宮てい芸能」とは、中国からやってくる使いの人たちをもてなす歌やおどりで、首里城(しゅりじょう)で国をあげておごそかに行われました。
 いっぽう「民ぞく芸能」は、地方の祭りの時などに行われるもので、人々の気持ちがそのままあらわれるものが多いようです。
 沖縄は昔から芸能のさかんな地いきで、「歌とおどりの島」とか「芸のうの宝庫」などとよばれています。「琉球ぶよう」や、沖縄だけの「組踊(くみおどり)」に代表される「おどり」や、中国から伝わった三線(さんしん)、胡弓(こきゅう)などの「楽器」類など、琉球王国時代に残された文化が、今でもしっかりと受けつがれているのです。

●組踊(くみおどり)

 中国からやってくる使者をもてなすためにつくられたもので、音楽、ぶよう、せりふの三つが合わさった歌げき。玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)という人がつくり、1718年にはじめて発表されました。約70ほどつくられたといわれ、げんざい64の台本がのこっています。
 
琉球舞踊・四ツ竹

●エイサー
 毎年、おぼんの季節になると、沖縄本島やその周辺の離島(りとう)では、エイサーが行われます。これは先ぞの霊(れい)をなぐさめるためのおどりで、各地のわか者たちは、太こを鳴らしながら「エイサー、エイサー」などとかけ声をかけながらおどります。
 夏の夜にひびきわたる太このリズムと、あせを流しながらおどるわか者たちのすがたは、沖縄らしい風景として親しまれています。
 
エイサー