重要文化財 建造物  専修寺如来堂


一身田 専修寺所有    昭和36年6月7日指定
津市一身田町2819
  堂中央に「証拠の如来」と呼ばれる専修寺の本尊阿弥陀如来立像を安置している。

この土地は、もと田畑で軟弱であったところを、全体的に1.5メートルほどの深さまで土を取り去り、新たに隣村の窪田村から山畑の土砂を運んで、層状につき固め地盤が作られた。

「如来堂御建立録」によると、享保4年(1719)に建設が始まったが、資金不足により工事に30年近く要し、寛延元年(1748)落慶遷仏の行事が行われた。

南東隅の柱の礎石に「寛保三葵亥年(1743)7月12冥、本覚道元信士俗名勘六」という刻銘があり、勘六という老人が故事の成功を祈って人柱になったと伝えらているが、この人が寄進したものと思われる。

屋根は入母屋造りの本体に、裳階(もこし)と呼ばれる庇が取り付き外観は二重に見えるが、2階は無い。
上の軒裏には垂木を扇状に配し二段組んだ二軒扇垂木、柱と柱の間にも組み物を置くなど華麗な禅宗様の様式が用いられている。
この組み物は四手先の複雑なもので、3段の尾垂木の先には像、龍、獏の彫刻になっている。

下の軒裏には唐破風をつけた向拝(ごはい)が設けられ、組物の間にある蟇股(かえるまた)には、中国の故事に基づいた彫刻が彫られ、屋根の左右の妻飾りには、鶴の彫刻がある。

屋根は特殊な工夫で軽量化と防水が行われ、各面中央から左右に文様の流れを反対にする他に例を見ないものである。


主棟梁は近江八幡の高木作右衛門日向、但場、その下に白塚の長谷川、浜田の村田の両棟梁が活躍した。
瓦屋は坂部の宇田藤兵衛。
独特の構造が用いられた江戸時代の代表建築と言える。

昭和58年から7年半かかり大修理が行われた。

 

 

本文は”専修寺如来堂の説明板及び津市教育委員会発行の津市の文化財”を参照しました。
2001年8月作成



専修寺如来堂


軒下の組物


正面軒下の彫刻


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