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県指定有形文化財 建造物 |
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境内の西方の如来堂の正面に建つ。 正保2年(1645)の大火以来、御影堂、山門、如来堂、通天と再建が続けられ、200年後の本造営を持って一応の完成を見た。 文化6年(1809)に木挽きが始まり、文政10年(1827)に地築き、天保15年(1844)に棟上をしている。 正面と背面の軒に大きい唐破風があることから唐門と呼ばれる。 屋根は檜の樹皮を使った檜皮葺き、如来堂の重厚な瓦葺きに対し、まろやかな曲線美、木部は欅つくりで品位の高い材料で施行され、今日に至っても狂いが無い。 腰長押と飛貫との間、扉、その脇の小壁、欄間には勢いのある菊、牡丹の透かし彫りが見られ、他の部分にも親子の獅子や力士の彫刻がされ、華麗で複雑な構造をしている。 造営時に配られたとみられる木版の立面図が残っており、当初は檜皮葺きと本瓦葺きの2案が考えられていたらしい。 大工の棟梁は近江八幡の高木作右衛門光規で如来堂を建築した但馬の孫にあたる。金具は津市栗真中山の阿保市太夫(現在でも跡あり)である。 関連した人々の名前が柱に刻まれているので、確認するのも面白い。 本文は”専修寺唐門の説明板及び津市教育委員会発行の津市の文化財”を参照しました。 |
![]() 唐門より如来堂を見る |
![]() 専修寺唐門 |