この資料は津市発行の各種資料を参照しています。 |
津 市 概 要 |
津市の位置 |
市 役 所 の 位 置 | 市 内 極 端 の 経 緯 度 | 地 名 | 経 緯 度 | 方位 | 経 緯 度 | 場 所 | 津市西丸之内23番1号 | 東経 136°30′30″ 北緯 34°42′55″ | 東 | 東経136°33′37″ | 雲出鋼管町 |
西 | 東経136°24′39″ | 片田薬王子町 | |||
南 | 北緯 34°38′40″ | 雲出島貫町 | |||
北 | 北緯 34°48′44″ | 高野尾町 |
概 要 |
津市は日本で一番短い名前の市です。 ローマ字で書いても"Tsu"の3文字です。 ”津”は港を意味します。 昔は"安濃津"と呼ばれ日本の三大港の一ツで大変栄えましたが
1498年(明応年)の大地震により港が陥没し、港としての機能を失い”津”の進路を大きく
変える事になりました。 その後、1600年の関が原の合戦で西軍に囲まれ落城、戦火も受けました。 |
明治維新まで32万石の城下町としてこの地方の政治・経済・文化の中心として栄えました。 明治維新の廃藩置県により県庁が津に置かれ、一時四日市に移されたがまもなく復帰現在に至ります。 市制は1889年(明治22年)4月1日。当時の人口は27,600人でした。 1945年7月(昭和20年)戦災で市街の73%を焼失してしまいました。
平成元年市制施工100周年を迎え盛大に記念祝賀を行いました。 ”伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ”と言われますが、伊勢神宮と津との
関わりは大きく神宮への街道として |
市民憲章 |
・清潔でみどり豊かなまちをつくりましょう。 ・健康でよく働き、楽しい家庭を築きましょう。 ・進んできまりを守り、あたたかい心のつながりを育てましょう。 ・ひろい教養を身につけ、新しい文化をつくりましょう。 ・みんなのしあわせと、産業の発展にやくだつことを、くふうしておこないましょう。 |
市章と市の花 |
![]() |
津 章
明治39年10月27日制定
|
![]() |
市の花(ツツジ)古くから津偕楽公園に自生し、四季を通じて常緑 つつじは「つつ」「津津」と、言葉の弾みがよく市民の意見を求め決定。 |
津市民歌 |
作詞、作曲 米山 正夫 1.光は永く 地の果てに 歴史は遠く 津の海に その伝統と 誇りとを 受け継ぎし 幸ある我等 共に歌わん いざいざいざ 「津は新しく 津は美しく 日々に伸び行く 我等が街よ」 2.ああ城跡の 松の風 つつじ桜の 津公園 四季それぞれのおもむきを 限りなく 愛する我等 共に讃えん いざいざいざ 「津は新しく 津は美しく 日々に伸び行く 我等が街よ」 3.文化の潮の 満ち満ちて 産業の花 咲きかおる 見よ団結の 街づくり 大都市の 夢呼ぶ我等 共に築かん いざいざいざ 「津は新しく 津は美しく 日々に伸び行く 我等が街よ」 1.光 明 照 到 天 涯 海 角 悠 久 的 歴 史 唖 如 津 海 クワンミン ジャオタオティェンヤ ハイジャオ ヨォゥチョゥディリイ シ アー ル チン ハァイ 光 栄 的 伝 統 和 驕 傲 我 們 幸 福 地 来 継 承 クワンロン ディチュワントンハ ジャオアオ ウオーメン シン フ ディ ライ チ チョン 一 起 来 唱 把 唱 把 唱 把 唱 把 イイ チ ライ チャンパ チャンパ チャンパ チャンパ 「塹 新 的 津 市 美 麗 的 津 市 一 天 天 向 前 発 展 的 津 市」 ジャンシンディ チン シ メイ リ ディ チン シ イィティェンティエンシァンチェンファアチャンディチン シ 2.唖 津 城 的 遺 跡 松 濤 下 杜 鵑 櫻 花 競 相 開 放 アー チン チョ ディイイ ジィスン タォ シァ トゥ フュァンインファ チン シァンカィ ファン 四 季 花 開 的 津 公 園 把 我 們 吸 引 到 弥 的 杯 抱 スゥ チィ ファ カイ ディチン コン ユァン パ ウォ メン シィ イン タォ ニ ディファィパァ 一 起 来 歌 頌 唱 把 唱 把 唱 把 イィ チ ライ チェンシャ チャンパ チャンパ チャンパ 「塹 新 的 津 市 美 麗 的 津 市 一 天 天 向 前 発 展 的 津 市」 ジャンシンディ チン シ メィ リ ディチン シ イィティエンティエンシアンチェンファ チャンディチン シ 3.文 化 如 津 海 的 浪 潮 産 業 象 四 季 的 花 朶 ウェンファ ルー チン ハィ ディラン チャォ チャンイェ シィ スゥ チー ディファ ドゥォ 看 把 我 們 団 結 地 建 設 城 市 為 津 市 更 美 好 而 奮 斗 カン パ ウォ メン トゥァンチェディチィェンシャチョォ シ ウェィチン シ コン メィ ハォ アル フェントゥ 一 起 来 建 設 唱 把 唱 把 唱 把 イィ チ ラィ チェ シャ チャンパ チャンパ チャンパ 「塹 新 的 津 市 美 麗 的 津 市 一 天 天 向 前 発 展 的 津 市」 ジャンシンディ チン シ メィ リ ディチン シ イィティエンティエンシアンチェンファアチャンディチン シ −訳 孫 正和− ※「 」は合唱
都市宣言 |
宣 言 名 | 宣言年月日 | 概 要 |
世界平和都市宣言 | 昭和34年12月22日 | 人類の平和と福祉を希求 |
交通安全都市宣言 | 昭和37年 3月15日 | 国道23号線を中心に延長65万余b の路線があり(当時)、市民の総力を結集し事故防止に当たる |
暴力追放都市宣言 | 昭和53年12月15日 | 市民の良識を結集し真の勇気と不屈の 態度をもって、暴力追放を推進 |
青少年健全育成都市宣言 | 昭和56年 3月27日 | 保護者の自覚と市民一人一人が 姿勢をただし、青少年の健全育成を目指す |
非核平和都市宣言 | 昭和60年 9月28日 | 非核三原則が全ての国の原則となること を強く希求 |
人権尊重都市宣言 | 平成 5年 3月23日 | 市民一人一人が自らの人権意識を高め 、全ての人の人権を守り、明るく住みよい社会を作る |
男女共同参画都市宣言 | 平成 7年 9月28日 | 男女が共に豊かな文化を育み、 魅力ある都市を目指す |