東野山砦 秀吉軍の最前線
賤ケ岳の合戦−最先端の築城技術

奥の高台が東野山砦跡 土塁に囲まれた曲輪
虎口と土塁、その奥に空堀 北国街道を挟んだ尾根にも砦を構築された
名称:東野山砦(別称:左禰山砦、実山砦)
所在地:長浜市余呉町東野
標高:407m
比高:約260m
築城〜廃城時期:不明〜天正11年(1583年)

探訪日:2011年8月28日   天候:くもり
コース:余呉小学校南から入り北陸自動車道高架橋〜林道東野中之郷線〜東野山砦跡(往復)

【東野山砦の歴史】

@賤ケ岳の合戦以前、在地の東野氏の詰め城として使用されるも、詳細は不明。
A天正11年(1583年)、賤ケ岳の合戦にあたり佐和山城主の堀久太郎秀政が秀吉軍の中で最も早くここに布陣。最前線東端にあり、北国街道はもとより堂木山、神明山、岩崎山などの砦を一望の下に俯瞰できる位置。
B天正11年4月5日、勝家軍が玄蕃尾城を下って南下したが、これに応じて堀秀政が砦から駆け下りて余呉川を挟んで対峙、銃撃戦を展開したが、そのまま当日の戦闘は終って、勝家は玄蕃尾城に引き上げた。
C4月20日佐久間盛政が大岩山の中川清秀を急襲した報を受け、大垣から54kmを5時間で引き返し(大返し)、盛政を追撃した時に、玄蕃尾城を下った勝家軍を狐塚で食い止めるのに貢献したのが、この東野山砦の堀秀政軍であったといわれる。
D賤ケ岳の合戦後、その役割を終え廃城となった。

【東野山砦の特徴】

 賤ケ岳の合戦においては秀吉、勝家両軍ともに北国街道を挟む山地に、数多くの城塞を構築し、わが国合戦史上、他に例を見ない築城戦であった、といわれる。(「近江の城」中井均)。
 この東野山砦は、秀吉軍の最前線に築かれたもので、織豊系陣城の特徴を有した魅力的なもの。
@3つの曲輪から構成される。
A最初に入る曲輪(図の下、北側)は最高所にあって北側の食い違い虎口となり、次の曲輪(南側)の南の虎口の前には土塁で囲まれた枡形の空間があり、馬出し状の虎口になっている。西南に伸びる尾根上の曲輪(おそらく主郭)は特に北から東側には大きな土塁で囲まれ、余呉小学校に延びる尾根上に土塁や削平地が構築されている。
B城の外には、東と南に竪堀が長く築かれている。

右下の食い違い虎口から入る 2009年作成の案内板。中央下の虎口から入る。

【探訪記】

 砦跡に通じる林道の入口がわからずウロウロして、結局余呉小学校の南から山に向かって、北陸自動車道を陸橋で越えて林道へ。
 林道の状態がHPの報告ではかなり悪いということもあり、2.3kmくらい歩こうかと、小走りも交えながら出発。25分ほどかけて入口に到着。意外に林道の状態は良く(一部斜面が崩壊し工事中であったが)、車でも何とかOKだった。

 まずは、林道沿いに看板がありここから入り(@)、すぐに砦の東側と北側の空掘(A)がある。北側空堀の先をUターンして食い違い虎口から最高所の曲輪(北側)に入る。看板が2つあったがかなり痛んでいた。曲輪や土塁は笹が茂っており(B)、もうちょっと整備していればと…残念。曲輪(北)の東に通じる虎口の先には空堀がしっかり残り土塁も立派で屈曲している(C)。

@林道からは砦跡まですぐ A砦の北外側の空堀
B最高所の曲輪(北側)から南方面 C曲輪(南)の東側土塁と空堀

 曲輪(北)と(南)の間には、仕切り土塁と仕切り門があったという2009年作成の案内表示あるが笹に覆われてしまいそう。南側の曲輪の虎口の外には枡形の馬出し(F)が残っている。ここからは唯一展望が開け、北国街道を挟んで西側の山々が望める。
 この東野山砦から西側の堂木山砦、神明山砦などを第一防御ラインとして、秀吉はこれを「惣構の堀」と称して北国街道は柵列によって封鎖されていたらしい。4月3日に秀吉が弟秀長にあてた手紙(長浜城歴史博物館所蔵)では「惣構えの堀より外へ鉄砲を放つのは言うに及ばず、草刈をする人に至るまで一人も外に出ることを禁じている。」(「近江の城」中井均)

D曲輪(南)から曲輪(北)を見る E曲輪(南)の虎口から北側
F曲輪(南)の虎口外の枡形馬出し G街道を挟んだ尾根にも秀吉軍の砦が

 西南へ余呉小学校までのびる尾根には、主郭と見られる曲輪(西)から順次下方へ土塁や削平地が構築されている。しかし、ここまでは整備がさらに行き届かず(H)、倒木や雑草で覆われている。案内板も2箇所あったが形状がわかりにくく残念でした。
 これだけの城塞が築かれ、素晴らしい歴史資産があるのだから、整備してルートでつなげば素晴らしいのに。
 東野山砦の東側の外には、竪堀と竪土塁が設けられ、敵が砦の南へ回り込むことを阻止する目的で作られたらしい。

H曲輪(西)の東側には大きな土塁 I砦の東外側の竪堀、竪土塁 わかりにくい

 整備具合は(今回は)いまいちでしたが、構造的にはかなり凝っていて興味の尽きない砦です。事前に調べたとおりで、予想以上で満足の山城巡りとなった。ただ、余呉の集落から歩いて25分(ちょい走り含む、車では10分弱)、2.3kmも林道を入った山中でクマも心配で、一人では落ち着かない探訪となってしまいました。

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