田上山砦 賤ケ岳の合戦 羽柴陣営の中心的砦
−長浜市木之本町 田上山(325m)山頂− 

主郭 北郭と主郭との間の土橋
北郭の北端の角馬出(外枡形) 南郭の土塁と空堀
名称:田上山砦   別称:田神山砦 木之本城
所在地:長浜市木之本町木之本、黒田
標高:325m
比高:180m
築城〜廃城:天正11年(1583年)3月〜4月

日時:2011年9月1日   天候:晴れ
コース:木之本町木之本〜田上山砦跡へ往復
 

【田上山砦の歴史】

@天正11年3月12日 羽柴秀吉軍の陣城の一つとして着工 守将は秀吉の異母弟の羽柴秀長。秀長が1ケ月で築城。15,000人を率いて守備。
A天正11年4月20日 同日夜、秀吉が美濃大垣から54キロを5時間で駆け戻り(大垣大返し)、田上山南麓にある木之本地蔵境内に陣取った。そして、当地の美濃部勘右衛門に近隣の住民を集めさせた。その上で、田上山へ登り味方の気勢を高めるため、鯨波をあげさせた。そして秀吉は勘右衛門を道案内に田上山を西に下り、賤ケ岳北方の佐久間盛政軍を追撃した。
B天正11年4月21日 前田利家隊の突然の後退、羽柴秀長軍の攻撃で、柴田勝家軍、総崩れ、越前に敗走。
B天正11年4月23日、勝家、北ノ庄で自刃。  (「近江の山城ベスト50」中井均編より)
【田上山砦の概要】

1 山頂一帯に南北に配された三つの方形の曲輪(北郭、主郭、南郭)と主郭より西方に下る西郭により構成される。
2 主郭と北郭との間は土橋と空堀があり、北郭の北側の虎口の外側にはコ形状の土 塁で囲まれた小空間を有する。(角馬出:外枡形)
3 さらに北郭の北方にある平坦地の先には、L字状の土塁を有する虎口になっている。
この平坦地は、軍勢の駐屯地と考えられ、秀吉出撃の際に近隣住民が集められたのはこの場所であったのか。
4 主郭、南郭は土塁で囲まれている。
5 西郭は主郭と土橋で結ばれ、西端には土塁の虎口とその脇には土塁、堀がコ字型 に折れている。この部分は小さな陣地跡か。 
                            (「近江の山城ベスト50」より)

 以上のように、この砦は西と北側の防御を念頭に作られ、その方角に布陣した柴田軍を意識したものと考えられる。

 しかし、柴田軍の本陣、玄蕃尾城と比べると、羽柴軍の本陣と考えられるこの田上山砦は構造的には凝ってはいるが、その規模はかなり見劣りがする。
【探訪記】

 時間の関係で伊香高校北側の未舗装林道を車で登っていく。狭くて、途中に路肩があやしい所もあり慎重に。
すぐに林道終点となり、遊歩道と合流し、階段状に木で整備された歩き出す。一方、ここまでの遊歩道は荒れている印象。
南郭と北、東側の土塁 南郭南側の土塁と空堀
 急坂から傾斜が緩やかになり、少しで南郭に着く。「田上山砦」の標柱があり、主郭横には説明板があって理解を助けてくれる。主郭と南郭の平坦地は伐採した材木が散乱しており、ちょっと残念。
 土橋をわたって北郭に移動し、その北側虎口の角馬出がしっかり残るが、規模は小さい。
その先の平坦地に山道が続き100mほど進むと、L字型の土塁で構成された虎口が。手が込んでいる。
北郭 北郭北側の角馬出(外枡形)
北郭の北方の自然地形の平坦地 平坦地北端のL字型土塁
 主郭に戻り、土橋を経てやや傾いた平坦地の西郭へ。
その西端にも、土塁と虎口があり、土塁、堀がコ字型に細工された部分も残っている。
羽柴軍の本陣として小規模ながらも、構造上は凝っておもしろい砦でした。
西郭の土塁と虎口 虎口脇のコ字型の陣地?

南からの田上山、賤ケ岳遠景
木之本集落と右端:田上山 左:賤ケ岳 中:行市山


ホーム 近江の山城