MTB山行

余呉町 行市山(659.7m)

−1583年賤ヶ岳の合戦、その歴史物語に包まれた静かな山−

余呉町新堂から望む行市山

 主君柴田勝家の身代わりとなって討死にした毛受兄弟の墓が地元に人たちによって守られている新堂地区から望む行市山です。右手前の森にそのお墓があり、左奥にわずかに窺えるのが行市山ピークです。その手前が別所山で前田利家・利長父子が構築した砦跡が残ってます。
 コースは右手裏側の小谷から延びる林道を約4km登ったあと、登山道に入り、別所山を経由して山頂へ。帰路は山頂から別所山を経て右手前の毛受兄弟の墓まで、尾根上のなだらかな山道3.3kmを大体全般にわたりMTBを楽しめました。
 麓の新堂では禅宗の「全長寺」に拝観し、お寺の人にいろいろと親切に教えていただきました。
 

日 時:2003年7月27日(日)  天候:晴れ
メンバー:単独
コース・タイム:小谷林道入口13:55−林道から別所山登山道入口14:15/20−別所山14:25−山頂13:50/57−林道14:22−毛受兄弟の墓脇登山口15:56
2万5千分の1地図:木之本

 余呉町小谷の西側の林道からスタート。林道入口にはモータースポーツ車輌の乗入禁止の警告看板が設置してあった。だけどMTBはのんびり静かに上がるから、道も痛めないし、動物も驚かせないもんね(熊鈴とハァハァハァという荒い息遣いはお許しを。)。最初はゆるやかに登りだす。しだいに傾斜を増してきて、約20分MTBを漕いで別所山への登山道入り口に到着します。標高406mここまで標高差約220mのぼり、あと、標高差で250m、距離で1.6kmほどです。
前田利家・利長父子の砦跡、別所山(上)

 登山道入口からMTBを担いで5分ほどで別所山到着。賤ヶ岳合戦に際し柴田勝家は玄蕃尾城の本陣から南へ稜線伝いに行市山、別所山、中谷山等へ人馬も駆け抜けられる道を構築し強固な陣地を形成したが、残念ながら結局、この陣に依って戦うことなく敗れ去ったようです。一方、前田父子も戦うことなく北に帰っていき、加賀100万石を後に築きました。
 400年余りの歳月がたち今は、行市山から北の玄蕃尾城跡のある柳ヶ瀬山までのその古道ははっきりしていないようです。あればゆるやかなアップダウンの続く楽しいコースとなるでしょうね。
杉と草が繁る行市山山頂

 別所山からちょっと下って、林道に沿う形で法面の上の笹の繁る山道をかき分けたあと、さらに進むと、頂上まであと1km地点で一旦急登となり、その後また緩やかに登っていく。最後、山頂への平坦な道を笹と草の海を泳ぐように進むと、ピークに到着。
山頂から南東の展望

 手前から呉枯ノ峰、中央右が小谷山、そして左最奥のうっすら見えるのが伊吹山ですね。
 もう少し左に目を転じると、金糞岳、七七頭ヶ岳など、湖北の峰々を望むことができます。反対方向は杉が大きくなり展望はききませんでした。
さあ、ライディング
!
 ピークから往路を戻ります。MTBにまたがり、草の海に漕ぎ出します。すぐに草はましになり、適度の傾斜の山道を倒木に気をつけながら快調にライディング。山頂まで1km地点の急坂は押して下りて、再度乗ります。間もなく林道の法面上の笹に覆われた道となり、適当にこいでいく。わずかな登りを担ぐと別所山に着き、ここから林道までは乗ってすぐです。林道を横断し、鉄の梯子を下りると、まだライディングは続きます。植林帯を過ぎると、何と、林道にまた出た。

 ここから中谷山へ登り返して△368地点から再スタートします。植林帯から写真右の落ち葉のいい感じの山道に変わります。「おぉ、これはええぞ」と気持ちよく下っていきます。そして、標高310m付近で山道の右側に 「(登り方面)別所山900m、(下り方面)大木別神社(新堂)750m」の標識を発見。見にくいところにあるなぁ、と不思議に思いつつ、麓の集落は新堂だし、「これでいいのだ」と、落ち葉の道をサイコーッと直進します。ところが、掘状の道は続いているものの、だんだん両側の草木に覆われだし、倒木も多くなってきた。変やなぁと思いつつ進むも、ついにMTBを持っては進めなくなり、やっぱ、これは違うと判断。登り返しーッ!間違ったのは何処やと、きょろきょろしながら担いでいくと、さっきの案内標識まで戻った。ここでよく見ると落ち葉のいい道から左に分岐するルートがあるではないか!おぉ、これかぁ。約10分くらいのロスでした。
 正規のルートに戻ると、これまたいいルートです。結局、新堂の毛受兄弟の墓の所までずっと乗って下りられました。イノシシなどの獣害対策のトタン板をずらして登山口着。ここから行市山まで3,350mで、トタンの上の電線は夜間通電するそうなのでご注意を! 
毛受兄弟の墓

 「敵十万騎が追いかけてくるとも1人として通さず」と主君柴田勝家の馬印を背に身代わりとなり討死にした毛受勝介・茂左エ門兄弟の墓で、新堂の人たちによって守られています。
久澤山全長寺(行市山麓)

 16世紀に建立された曹洞宗の寺院で、18世紀上棟の本堂はもともと茅葺で維持管理の困難さからトタンが被されました。
 下山後、拝観した際、手持ちのお金がわずかなのに拘わらず、それでいいととっても親切に説明をしていただきました。二間床一杯に拡がる達磨さまの大きな掛け軸、行市山を借景にした江戸時代の庭園、馬頭観音をはじめ他にも見所一杯です。

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