“なかさま、おねさま、八畳が岩屋にお隠れを!”  
   
伝承の曲谷、起こし又川源流「八畳が岩屋」、そして「笠岩」


「八畳が岩屋」と「笠岩」

姉川ダム近くから東の県境稜線を望むと、大小2つの岩が重なった「笠岩」がみえる。

 源流の会では、2010年4月、県境稜線直下に白く輝く巨岩(地元では通称「笠岩」という。)に足を運び、

16世紀後半、この姉川の谷に足跡を残した戦国の女達の苦難に思いを馳せながら、湖北の大展望を実感した。

 
踏査日 2010年4月24日(土)
メンバー 源流の会 谷口代表以下、ツワモノのみなさん8名

コースタイム 林道出発?−(標高660m尾根経由−沢2回横断)−標高720m堀切8:58−右手支沢横断9:30−炭焼き平坦地9:40(休憩)−八畳が岩屋?11:00−笠岩11:20/12:00−炭焼き平坦地13:09−五色の滝14:26−林道14:45

【戦国時代:大政所、北政所の逃避行】(−伊吹町史−より)

 天正10年6月2日本能寺の変が発生し織田信長が自刃。この報を受けた長浜城の羽柴秀吉の母「なか」(大政所)と妻「おね」(北政所)は、難を逃れるため、美濃国坂内村出身の土豪「広瀬兵庫助」の先導で、称名寺(浅井町尊勝寺)の僧性慶の随行で、−伊吹町上野の三之宮神社を通り、東草野谷より曲谷、甲津原を経て、坂内村に隠れたといわれる。

 『改訂近江国坂田郡志』には、
  上野の三之宮神社については、「北の政所は、難を此の地に避けたり。当社菊桐の紋章を用ゆるは、秀吉の寄進する所なりと 云うふ」(第4巻)

  曲谷については、「羽柴秀吉の母堂及び夫人、当地に遁れ来る。時に薄暮なり。姉川の支流御越又川の上流に八畳が岩屋あり。里人長義といえるもの、両公を此の岩屋に隠し、百姓に命じて除難の祈祷をなさしめたりと。」(第2巻)

 『近江與地志略』には
  甲津原について、「相伝 美濃士 広瀬兵庫、秀吉の母君を御供中、此の地に来、暫御居住、猿楽能ありしとて、今に舞台跡と言う処あり、仮面八あり、古は十ありしを、翁の仮面二、美濃国関原へかりとるといへり。此村火災の時此の仮面どもは悉やけずといふ。」


長くなりましたが、という歴史のかおりプンプンとする、伊吹の源流へ、下草が生える前の4月下旬足を踏み入れた。

1 取り付き〜植林尾根経由〜切通し

  起し又川と大持広場をつなぐ林道の峠にある五色の滝への入口地点で、さあ、どのルートを選択するか、地図を見ながら、結 局はこの山域を熟知されている須藤氏のリードで、まずは部分的に植林された尾根を進む。標高650mあたりからほぼ等高線沿いに右手の沢に下って、支尾根の末端を巻いて、もう一つ右手の標高720mで平坦になっている細長い尾根に乗り上げた。すると、明らかに人の手によって尾根が鋭く切通された地点に出た。 
 ここまでがちょっと大変。復路にとった五色の滝から遡上するコースがお薦め。

行きは西側尾根から来て往路は切通しを下った 途中にあった熊棚。

2 切通し〜炭焼き平坦地

 ここからは笹に覆われてはいるものの、以前は炭焼きに利用されていたと思われる廃道もあり、雑木に壊されてはいるものの石積みやちょっとした平坦地もあちこちに。ただし、ルンルン道ではなく、笹を掻き分け進むところも多く、気をつけないと、跳ね返りでコンタクトレンズを飛ばされてしまいます。…大きな痛手でした。ショック!

石積みも自然にかえって ダンコウバイ咲く平坦地

3 尾根道へ

 ここからは尾根コースとなる。県境尾根△1,187mの少し南の鞍部あたりへと、東に延びる尾根にとりつく。下草の生えていないこの時期は正解。見晴らしも良く、湖北の平野や琵琶湖が広がって、当然、長浜市内も望める。北政所は、きっと振り返り当時の今浜の城や町の様子を気遣っていたに違いないと、メンバーの話も弾む。
 緑のまだない雑木林の中は、ダンコウバイ(檀香梅)の黄色い花があちこちに、あしもとにはイワウチワ(岩団扇)。

気持ちよい尾根道 イワウチワがあちこちに

 そして見えてきた。笠岩。登ってきた尾根の右手(北方)の稜線直下に、巨大な岩の造形が。でっかい土台の岩の上に、小振り、といっても無茶大きいが、の岩が乗っている。その周りにも、白い巨岩が芽吹く前の林の中に、見える。

尾根から遠望する笠岩

4 これが「八畳が岩屋」か

 尾根からルートを笠岩に向けて、標高1,130mあたりから次第に左に廻っていくと、突然現れたのが、下の「八畳が岩屋」か?巨大な平べったい岩の下は、大きな空間ができている。メンバーが余裕で記念撮影。
 そうか、ここで、大政所、北政所が従者たちとともに、夜露をしのいだのか。頃は6月で、そう寒くもなく、その時期は炭焼きなど山の奥まで人々が行き来し、今ほど大変ではなかったのかも。などなど、緑に覆われた6月でも、近くの笠岩からなら、湖北の状況は一望だ。

標高1,130mあたりにあった「八畳が岩屋」?photo by k..sudo氏

5 そして「笠岩」

 稜線下をトラバースして、遂に着いた「笠岩」。標高1,120mあたり。県境稜線の△1,187mとすぐ南の1,180mとの間の鞍部の西へ少し下のところ。
 大きい。とても。斜面にあるため、途中の木に登って、上部の岩に乗り移った。左下の写真で岩の上にメンバーが2人見えているが、笠岩の上部の岩だけ見ても、無茶大きい。
 もちろん、展望は抜群。ここで、のんびりとお昼にした。

上部にメンバー2人 すべっとしたでっかい岩
最下部から見ると、はるか上に上部の岩が小さく 2つの岩の接合部

 大きさを実感するため、岩を一周しようとする。予想どおり大きい。結構下って、さくさくとした落ち葉を踏んで、回り込む。

周りの巨岩にも雑木がまとわりつく 姉川ダムの向こうに湖北、琵琶湖

 展望はと言えば、眼下の姉川ダムから七尾山系の天吉寺山の向こうに、良く目を凝らすと、琵琶湖に竹生島、湖北の平野が広がり、長浜、さらに彦根から湖東、そして近江八幡の沖島まで、まさに誰にも、何にも遮られることのない大展望。贅沢です。

南に目を向けると、長浜、彦根、遠く沖島

 そして、笠岩、その大きさを実感していただきましょう!さあ!

でっかいどう!  photo by k..sudo氏

 上の写真、一体誰が撮ったの?相当遠くから望遠で、道なき山中を獣のように突っ走って撮影ポイントに行き、狙いを定めてパチリ!そう、できる人はMr.SUDO氏しかいません。これは、その大きさを正に実感できる貴重な写真です。ありがとうございます。

6 帰路へ

 そして、往路の尾根に戻り、下っていきます。標高720mの尾根の切通し部分からは、往路から外れ、切通しに従って尾根を横切ると、廃道らしきものが部分的に残り、起こし又川の左岸に沿って下っていく。
 所々に人の手で作られた平坦地が残り、こんな奥まで、人が入って生活に有効に利用していたのかと感慨も深くなり、一方でほとんど人が山に入らなくなった現在では、そらあ、動物たちも人里にドンドン下ってくるわなぁ、と思う。人と動物との関係。山の利用の仕方をみんなで考えないと、防御だけでは、人も金も続かない。

明るい支沢を渡って帰途に 崩れた石積みが人の利用を物語る
五色の滝上流のきれいな連瀑 そして五色の滝まで戻って

 いやぁ、本当にすてきな一日でした。このコース、五色の滝からの遡上コースなら、少し手入れをすれば早春あるいは晩秋にはきっと楽しめます。またの機会に。

ホーム 源流の会