福満寺だより  令和7年9月25日

お彼岸に入ってから急に涼しくなりました。いつの間にか彼岸花が顔を覗かせています。いつもの年よりは数が少ないのですが、出てきてくれたことに感謝です。


1,       お経勉強会について

914日(日)午後1時から、枕草子第184段「宮にはじめてまゐりたるころ」を読み始めました。でしゃばり、あつかましい、めだちたがり、など評される清少納言ですが、この章段では本当に初々しく、うぶで、恥ずかしがりの女性が登場します。

宮にはじめてまゐりたるころ、もののはづかしきことの数知らず。涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて、三尺の御几帳のうしろにさぶらふに、繪など取り出して見せさせ給ふを、手にてもえさし出づまじうわりなし。

「これは、とあり、かかり、それが、かれが」などのたまはす。

いとつめたきころなれば、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほにたる薄紅梅なるは、かぎりなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそ世におはしましけれと、おどろかるるまでぞまもりまゐらする。

定子中宮様のいらっしゃる登花殿に、初めて出仕したころには、恥ずかしいことが一杯あって、涙が落ちてしまいそうなので、明るい昼間ではなく、夜にだけ参上していました。中宮のお傍の1メートルほどの高さの几帳の後ろに控えていると、中宮様は私に繪を見せてくださいました。

「これはあれなのよ、これはこうなの」と説明してくださいます。

とても寒いころだったので、お袖からわずかに覗く御手が、つやつやした薄紅梅色だったのが、とんでもなく、素晴らしいと、世間知らずの田舎者である私は、「こんなに美しい人がこの世にいらっしゃったんだ」と目を丸くして、見つめ申し上げました。


初めて出仕した時、清少納言は30歳ぐらいだったといわれています。他の女房達より多分年上で、おばさんだったはず。中宮は10歳くらい年下で20歳ぐらいでしょうか。中宮はこの世間知らずのおばさんにあれこれ気を使って何とか慣れさせようとしてくださいます。清少納言がどういういきさつで中宮のサロンに入ることになったのか詳しくはわかりませんが、清少納言の書いた枕草子の一部が早くから宮中の貴族たちの間で評判になっていたことが大きいのでしょう。

色々お話をしてくださっても、清少納言は自分の局に帰りたくて帰りたくて、その日もお許しが出るの待ってさっさとサロンを後にします。翌日中宮からは早く参上するようにとお召しがあります。一人遅れて登花殿についた清少納言、この日は雪で外は真っ白、中宮の御前には赤々と炭火の入れられた囲炉裏や火鉢がおいてあり、女房達がリラックスしながら楽しそうに行き交っています。その姿が羨ましくて、羨ましくて、清少納言は自分がこの中に入って行けるのかしらと不安。そこへ前駆を追う声がして、お客様がやってきます。というところまでを読みました。

10月の勉強会は11日(土曜日)午後1時からを予定しています。

2,       ご詠歌練習会について 

 18日(木)に練習会を行いました。龍華、楊柳から始めて、力を入れたい曲を選んではしっかり復習しています。今回は「西国札打ち和讃」を取り上げました。西国33ケ所の第1番青岸渡寺のご詠歌の前に少し紹介がついているのが札打ち和讃です。

 西国第1番に打つ札は 紀ノ國牟婁の那智山

 峰より落つる滝津瀬の 深き誓ぞ頼もしき

 本尊如意輪観世音 仰いで唱うるご詠歌に

ここまでが、紹介になります。今から西国第1番の札所、青岸渡寺を打ちますが、ここは紀ノ國牟婁の那智山です。那智山には大きな滝があり、その滝つぼの深いこと、それと同じくらい深い誓いを抱いてくださっているのが、本尊の如意輪観世音です。

観音様を仰いで、一緒にご詠歌を唱えましょう。

ここからが、青岸渡寺のご詠歌です。

 補陀落や 岸打つ浪は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬

さあ、ここは観音様の浄土、補陀落です。インドの補陀落浄土では海の波が岸に打ち付けて響いているでしょう。ここは熊野三山の一つ那智のお山、響いているのは那智の滝の音です。

 素敵なご詠歌ですね。

 10月は21日(火)午後1時からです。


3,福満寺寄り道、わき道ウォーク

 629日(日)に予定されて中止になり、924日に延期になったウォークが、またまた延期になり926日(金)に再再挑戦することになりました。

行先は伊勢国分寺跡と鈴鹿市考古博物館、

来月号で報告いたします。


4,4ヶ寺のバス旅行について

 92日(火)、3日(水)、12日で遠州に出かけました

 参加者は4ヶ寺合わせて24名だったので、バスはゆったりです。お天気も上々で楽しい旅ができました。

 最初の拝観は浜松の龍譚寺(りょうたんじ)、小堀遠州の作といわれる立派な庭園があります。井伊家の菩提寺で、NHKの大河ドラマにもなった女城主井伊直虎ゆかりの寺としても有名です。直虎は戦死した従兄弟の息子直政を育て井伊家を存続させていきました。4ヶ寺のバス旅で3月に岡崎城に出かけましたが、その時に案内してくれた武将隊のイケメンが、なんと井伊直政でしたね。縁は繋がっていくんだなあと、何だか感動しました。浜名湖でお昼ご飯をいただき、もう1ヶ寺、袋井市の秋葉総本殿可睡斎を拝観、大きなお寺で、季節の花々の美しい観光のお寺でもあります。この時期は観光客も少なく境内はひっそりしていましたが、中は若い雲水さんたちが障子の張替えの真っ最中、頑張れえと心の中でエールを送ってきました。そのあと、掛川の花鳥園に立ち寄りました。この日は鳥たちが(フクロウ、オウム、ペンギン、タカなど)ショーを見せてくれて、鳥って賢いんだなあと認識を新たにしました。

 お宿は焼津温泉の松風閣、海を見下ろす小高い山の上にそびえています。新鮮なお魚をメインにしたお料理も美味しく、ゆったり温泉につかって気持ちよく眠りました。翌朝露天風呂に行くと、青い海の上に、青い富士山が浮かんでいます。すごーい、手を合わせたくなりますね。この日は私たち以外に、宿に観光バスが5台、大阪の農協さんの団体旅行だそうです。団体さんに飲み込まれてしまわないように、出発時間を30分遅らせて出発、次の観光地日本平でも出会いましたが、なんとか無事に乗り切りました。

 お昼は由比ガ浜の桜エビ館、一族で切り盛りしている小さな館でしたが、桜エビの釜めしも美味しく、一杯お土産を買ってきました。

 帰りのバスは一直線に東名高速を走ります。途中、トイレに行きたい人が出て、牧之原SAに止まりました。牧之原はこの2日後にあの竜巻が襲った場所です。無事に帰れてよかったなと思いました。どこで何が起きるか本当にわかりませんものね。

 この日はもう1ヶ所豊橋のヤマサのちくわに立ち寄って、予定時間よりは少し遅れましたが皆元気に津の町に帰ってきました。ありがとうございました。

 バス旅は1011月お休みで、次は1210日(水)に福井の「日本海さかな街」に出かけます。小浜でお箸作り体験もするそうです。行程表は寺にありますので、参加したいなと思われる方はご連絡ください。


5, 瞑想

 そろそろ瞑想にもいい季節になってきたようです。座りに来てみようかなと思われる方はご連絡ください。午前でも、午後でも、空いた時間があればどうぞ。出来る限り対応させていただきます。参加費は500円です。


6,陀羅尼助丸入荷しました。

 「だらに、無いの?」と何人かの方に聞かれて、そのうちに送ってもらうからと答えていましたが、やっと届きました。大峰山の麓、洞川で造られた胃腸薬です。

何度目の四国遍路でしたか、土佐でニンニクたっぷりのカツオのたたきを頂いて、その夜からお腹を壊す人、戻す人、続出。大変なことになりました。私が常備していた陀羅尼助を配って、それが、びっくりするほど良く効いて、事なきをえました。

悪いものを食べたのではなく、普段あまり食べないものを食べた刺激が強すぎたのだろうと思いますが。おかげで、陀羅尼ファンが増えて、住職が大峰山に行ったときには必ず買ってきて置いてあったのですが、最近大峰に行くことがなくなり、お渡しすることができませんでした。先日住職が製造元に電話したらすぐに届けてくれたので、現在15袋ほど寺にあります。12700粒入りで2500円です。1回の服用が30粒ですから、90回分あります。私も台所には陀羅尼助が常においてあります。お腹を壊した時、本当に1回で効くんですもの。



921日(日)大里の千福寺さんに招かれて、弘月が法話に行ってきました。

千福寺さんとはずっと親しくして頂いているし、4ヶ寺のバス旅もご一緒で、本堂には見慣れたお顔もちらほらです。

法話の内容は「六道について」、としました。

六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つの世界です。お釈迦様がこの世を説明するのに使われた言葉のようです。今私たちが生活しているこの世のことです。

地蔵菩薩のご詠歌に

 如意の宝珠を捧げ持ち、錫杖突きて、

六道を旅行く人にほほ笑みて 救いの御手を延べたもう

と歌われています。私たちがいるのは六道です。六道の中の人間界だと思いたいですけれど。

さて、地獄は救いのない絶望の世界です。地獄絵が一時期ブームになり、これでもか、これでもかとホラーの世界が描かれたりしましたけれど、お釈迦様が地獄と呼んだのはそんな世界ではないでしょう。紀元前の北インドには多くの小さな国があり紛争を繰り返していました。その争いの中で地獄は生まれます。TVでみるガザの様子は地獄のようだと思いますが、傷ついた子を抱えて走る若者がいるかぎり地獄ではありません。地獄は周り全てが敵なのです。

餓鬼の世界は施餓鬼の時によくお話ししましたね。自分の果てしなく湧いてくる欲に苦しむ世界です。

畜生は食欲と性欲に支配される世界、どこかの先生たちは畜生道にいるのでしょう。

修羅・人間・天は人間道とまとめてもいいような世界ですが、

修羅はとにかく争いを好む人たち、誰かのことを許せない、憎いと思い始めたら修羅道の入り口です。

修羅の上が人間、人間には思いやりがあり、助け合おうとする気持ちがあります。それが、修羅までの世界と大きく異なる世界です。

人間の上には天があります。ここでの天は毘沙門天や持国天や弁天様など、神様としての天ではありません。人間だけれど、生きている間は権力をもち、お金を持ち、誰もが驚くような美しい容姿を持ち、すべてに恵まれた人々の世界。どこかの大統領や、大金持ちの実業家や、・・大谷翔平君も天の人かもしれません。でも天に住む人たちも病気になり、年を取り、やがて死を迎えます。

この六道を欲界と呼びますが、お釈迦様は、死んだら、もうこの六道には戻らないように、悟りを開いて仏になりなさいと仏教を通して呼びかけてくださるわけです。

法話ではこのあと六道輪廻の話と、縁についてのお話をしました。

役に立ったかどうかはわかりませんが、言いたいことを言って、気持ちよく帰ってきました。

    南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛  合掌


詳しくは
寺へお尋ね下さい
電話059-228-7841


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