令和8年4月27日
一斉に芽吹いた若葉が庭を緑に塗り替えました。牡丹、石楠花、芍薬など、華やかな花が目を楽しませてくれます。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき。」は、林芙美子の言葉だったでしょうか、開いたばかりの花が雨に打たれてみるみる萎んでいきます。雨もまた命を育む大切な要素ですから、仕方のないことなのですが。
いよいよ、5月がやってきます。薫風香り、緑輝く、素晴らしい季節のはずなのですが、あっという間に暑い暑い日々がやってきそうで不安です。
酷暑なんて願い下げですね。
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お経勉強会について
12日(日)の勉強会は、まず平家の生きた時代を振り返ることにしました。
源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、鎌倉時代が始まるわけですから、平清盛が生きたのは平安時代の終わりということになります。
昨年には勉強会で、枕草子を読み、一昨年には源氏物語を読みました。清少納言が仕えた藤原定子、紫式部が仕えた藤原彰子、ともに一条天皇のお后です。藤原氏は娘を天皇に嫁がせ、授かった皇子を次の天皇の位につけ、自分はその祖父として、摂政・関白に上って、政治に口を出す、いわゆる、摂関政治の時代が続きました。
政治の実権を握っていたのは藤原氏、なかでも藤原道長の時代は、その貴族政治の全盛期でした。
ただ、道長の息子たちには適齢の娘がなかったり、入内しても皇女しか生まれなかったり、少しずつ皇室との繋がりが薄れていきました。
1068年に即位した後三条天皇は藤原氏との姻戚関係を持たない天皇で、藤原氏が特権として持っていた広大な荘園を積極的に管理、整理し始め、藤原氏は経済的にも徐々に弱くなっていきました。荘園の整理というと当然ながら土地の争いが起こります。争いは武力をともない、あちこちで武士団が形成されます。その中心にあるのが、受領として地方に散らばっていた、源氏と平氏だったと思われます。源氏も平氏も、もとは天皇家から出た血筋ですから、地方の人々は敬意とあこがれを持って従ったことだろうと思います。天皇家としても、地方の争いを治めるのに、源氏と平氏を上手く使っていたようです。平忠盛は鳥羽天皇に気に入られ、殿上人として貴族の仲間入りを果たしました。
天皇家は藤原氏から解放されましたが、後三条天皇の後を継いだ白河天皇が退位して、白河上皇となり、それでも政治の実権を放さず、院政を始めたことで、ぎくしゃくしてきました。天皇と院(上皇)二つの権力がぶつかり合うのですから争いが起こります。そして、保元の乱と平治の乱が起きました。二つの乱をうまく潜り抜けて権力を握った平清盛が、1167年に太政大臣になりました。おごれる平家の時代到来です。
しかし、1180年源頼朝が挙兵、木曽(源)義仲も挙兵、その中、清盛は1181年に熱病で没し、翌年から平氏は瀬戸内海を西へ西へと敗走することになりました。敦盛のエピソードは1184年神戸市の一ノ谷の合戦での出来事です。山を背に陣を張っていた平氏は、鵯越(ひよどりごえ)の逆落しと呼ばれる源義経の奇襲であっけなくバラバラになってしまいました。
いくさやぶれにければ、熊谷次郎直実、
「平家の君達(きんだち)たすけ舟に乗らんと、汀の方へぞおち給ふらむ。あっぱれ、よからう大将軍にくまばや」とて、磯の方にあゆまするところに、練貫(ねりぬき)に鶴ぬうたる直垂(ひたたれ)に、萌黄匂(もえぎにおい)の鎧(よろい)着て、鍬形(くわがた)うったる甲(かぶと)の緒しめ、こがねづくりの太刀をはき、滋藤(しげどう)の弓もって、連銭葦毛(れんぜんあしげ)なる馬に黄覆輪(きんぷくりん)の鞍(くら)おいて乗ったる武者一騎、沖なる舟に目をかけて、海へざっとうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを、熊谷、
「あれは大将軍とこそ見参らせ給へ。まさなうも敵にうしろを見せさせ給ふものかな。かへさせ給へ。」と扇をあげてまねきければ、招かれてとってかへす。
汀にうちあがらんとするところに、おしなべてむずとくんでどうどおち、とっておさへて頸(くび)をかかんと甲をおしあふのけてみければ、年十六七なりけるが、薄化粧して、かね黒なり。我子の小次郎がよはひ程にて、容顔まことに美麗なりければ、いづくに刀を立つべしともおぼえず。
聞きなれない言葉ばかりかもしれませんが、原文を紹介します。声に出して読んでもらうと案外気持ちの良いものです。
登場人物は源氏方の武将熊谷次郎直実と平家の君達平敦盛です。
義経勢に追い散らされて平氏方は海に浮かぶ船へ逃げていきます。熊谷は何とか手柄を立てたいと身分の高そうな平氏を探しています。大河ドラマ「豊臣兄弟」で藤堂高虎が「手柄を立てたい」と戦いの中に飛び込んできたのと同じです。そして、沖の舟を目指して馬を泳がせている身分の高そうな武者を見つけました。
絹の着物には鶴の刺繍がしてあり、目の覚めるような若葉色の鎧を着て、鍬形の角のような飾りの甲をかぶり、金色の太刀を腰に着け、立派な弓を持ち、白とグレイの混じったような毛並みの馬に、金の縁取りのある鞍をおいて乗っている、まさに高貴なオーラを放っている武者です。
「おーい、引き返せ、敵に後ろをみせるのか」と叫ぶとその武者は馬の向きを変えて戻ってきました。波打ち際で待ち構えていた熊谷と武者は取っ組んだまま馬から落ち、熊谷が組み伏せて、いざ首を切ろうと甲を取ってみると、自分の息子と同じ年くらいの、美しい少年が現れたという場面です。
熊谷は何とか助けたいと思うのですが、後ろの方から源氏方の軍勢が迫っており、泣きながら首を切ります。その首を包むために、鎧を外して鶴の刺繍の直垂を脱がそうとすると錦の袋に入れた笛が出てきました。
「あないとほし、この暁、城のうちにて管弦し給ひつるは、此人々にておはしけり。当時みかたに東国の勢何万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛持つ人はよもあらじ。上臈は猶もやさしかりけり」
夜明け前に平家の陣から笛の音が聞こえていたのでしょうね。熊谷の胸は引き裂かれ号泣します。名乗ってくれなかったその武者は清盛の甥、敦盛と判明します。
熊谷次郎は武士に嫌気がさし、出家して、一生をかけて、敦盛の菩提を弔おうと決めました。
5月の勉強会は10日(日)午後1時から。那須与一を読みます。
2 ご詠歌について
21日(火)の練習会では、「札打和讃」をしっかり練習しました。
以前は15名近くいたご詠歌仲間も高齢になり、揃って練習することが難しくなってきました。参加してくださっているお仲間はみんなお元気なのですが。
寂しいし、残念ですが、ご詠歌の灯を灯し続けるのは至難の業です。
でも、とにかく、頑張って練習しましょう。
5月のご詠歌練習日は21日(木)午後1時からです。
3、 4ヶ寺合同のバス旅行
8日(水)福井の一乗谷朝倉遺跡に行ってきました。以前から一度出かけたいと思っていた場所でしたが、期待を裏切らず、心に残る旅になりました。
朝倉氏というのは越前の国の戦国大名で、一乗谷に重臣たちと様々な職人などの町人を集めて住まわせ立派な城下町を作りました。一乗谷の背後の山上に堅固な山城、一条谷城を築きました。一時は全国で3番目(1位は京都、2位は堺)の人口だったというこの城下も5代目の朝倉義景の時代に、織田信長に滅ぼされます。完全に焼き払われたこの場所は、江戸時代には水田の下に埋もれていましたが、昭和42年に発掘調査が始まり、昭和46年には国の特別史跡に指定されました。とにかく、広大な遺跡です。その、ほんの一部が復原町並みとして私たちを迎えてくれました。
無くなったものを再現するのを復元と言いますが、復原というのは発掘された基礎や柱の跡をもとに、出来るだけ忠実に当時の姿に戻す場合に使われる言葉です。
ガイドさんの説明が丁寧で面白く時間があっという間に過ぎてしまいました。
遺跡全体は、まる1日かけても、見ることは難しいでしょう。枝垂れ桜が満開でうっとりしましたが、戦国武将にとっては「枝垂れ」は禁句ですから、「糸桜」、「柳桜」などと呼ぶのだそうです。
バス旅行の目的地に、この遺跡を提案したのは弘月ですが、大河ドラマのことは全く念頭にありませんでした。いつの間にか大河ドラマ「豊臣兄弟」が、追いついてきてしまったのです。これもご縁と感謝しましょう。
次回は6月10日(水)愛知県の旅です。三ヶ根観音と妙善寺を参拝し、蒲郡のメロン狩りを楽しみます。行程表は寺にありますので、参加希望の方はご連絡ください。
4、よりみち・わきみちウォークについて
4月は2回のウォークを楽しみました。
3日は伊勢の横輪桜のお花見、参加者はこれまでで最多の17名。初めての参加もあって、伊勢駅前のバス乗り場でまず点呼です。
30分ほどバスに揺られて横輪口で下車、道の両側に横輪桜がお出迎えです。てくてく上り坂を歩いて横輪の里の中心にある売店「風鈴」に着きました。遠くにも近くにも横輪の桜が溢れています。
横輪桜は2018年新種登録されました。山桜の突然変異だと思われますが、江戸時代後期に、横輪の桂林寺にあった桜を村人たちが増やし、守り育てたもののようです。
1輪の大きさはソメイヨシノの3倍ほど、花弁は横に広くて、雄蕊が変化した花弁を持つ桜もあり、とにかく華やかな桜です。
現在横輪の住人は46名、ほぼ、高齢者です。美しい川が流れていて、夏は蛍の名所だそうです。平氏の隠れ里の伝説も残っており、どこか、寂しくて、美しい里です。
帰り際に、突然強い風が吹き、横輪桜の花弁を青空高く吹き上げました。うわあっと全員が息をのむ美しさでした。本当に贅沢な、大満足のお花見になりました。
18日(土)は鈴鹿の伊奈富神社で紫ツツジのお花見の予定でした。
でも、残念ながら、どこにも紫色が見当たりません。神社のツツジはすべて若葉に変わっていました。若葉につつまれて、清々しく爽やかなお弁当タイムを楽しみました。来年、また、チャレンジしなくちゃ。
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5月は20日(水)四日市のあすなろ鉄道に乗って、日永の追分から東海道を少し(ふた駅)歩きます。近鉄津駅を8:56発の名古屋行き急行に乗ります。
お弁当持参、雨天中止、行程表が必要な方はご連絡ください。
6月は24日(水) 志摩市伊雑宮の御田植式の見学に出かける予定です。
6、瞑想について
お時間があれば、ぜひ瞑想にお出かけください。緑に包まれての瞑想です。
参加費はお1人500円です。
7、旗の奉納ありがとうございました
南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 合掌
詳しくは寺へお尋ね下さい
電話059-228-7841