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安国寺

 当寺は「正度山安国寺」と称し、「芦浦観音寺」の南側に面した位置にあり、御本尊は六体地蔵菩薩である。
 当寺も観音寺と同様に天台宗に属しているが、由緒はあまり判っていない。
 由緒書きには当寺本願は正見阿闍梨とあり、観音寺に伝わる位牌の中に正見阿闍梨のものがあり年記不詳である。しかし安国寺の開山に関する文書が他寺にあることから、その場合は神護元年(767年)に寺歴が遡ることになるが不詳である。
 「蔭凉軒日録」によると足利尊氏が全国に安国寺を建立したなかで、近江の国には芦浦に之が建立されたとあり、応仁の乱で消失したとある。全国に建てられた安国寺や安国寺利生塔は、新しく立てられたものや古いものを修理したものもあるので、当寺がどちらに該当するかは不明である。
 また、応仁の乱の三〇数年後(延徳四年)に京都相国寺の僧衆が安国寺に一宿したとあるから、そのころには再建されていたと思われる。
 安国寺の換鐘の銘には、宝永二年(一七〇五)秋に制作、作者は京都堀川の在住の筑後大掾常味作とあり、「安国精舎在琵琶湖東野洲河南、相傳古帝毎一州建一刹、以祈國祥名曰安国此寺之本州一刹・・・・」と刻まれているので尊氏のそれを裏付けることとなる。また換鐘製作時の住職は覚潭(かくたん)と刻されている。
 現在、観音寺の境内にある宝篋印塔はもともと安国寺にあったもので、盗難にあい返還時に移されたもので、鎌倉時代のものである。
 また、安国寺の境内には古井戸があり、昭和三〇年頃までは掘り井戸できれいな水が涌き出ていたことが知られている。安政三年に書かれた額には、その井戸が四八盤井だと記されているが、享保十九年(一七二三年)に発刊された近江與地史略に記述の「芦浦にあった四十八曲の池」との関係は定かではない。
 現存の本堂は昭和五〇年代に再建されたものである。

観音寺参道から安国寺を望む