御詠歌(ごえいか)とは中世より、お寺に参る人々の間で広く詠われてきた仏様の功徳を説いたり賛嘆する歌で日本全国に伝わる地歌の中でのお寺用とでも言える歌です。
地方によって様々なメロディーがありますが、現在では真言宗の金剛流や曹洞宗の梅花流など、
一つの流派としても沢山の御詠歌が確立されています。
御本尊 阿弥陀如来の御詠歌
くまのじを ものうきたびと おもうなよ
しでのやまじで おもいしらせん
(訳)熊野詣でを気乗りのしない大変な旅だと思っては
なりません。
死出の山路(妙法山から本宮にかけての実在する熊野古道)
が、その深い意味とありがたさを教えてくれることでしょう。
「思うなよ」や「おもいしらせん」などは、現代語の感覚ではかなり厳しい言葉のようですが、本来昔の熊野詣とは熊野に参るというその目的だけではなく、そこにたどり着くための険しい道程が人々に生きることの本当の意味やすばらしさを教えてくれたのです。
だからこそ厳しく、妙法山の阿弥陀様のことばとして、この旅への覚悟を伝えているのでしょう。
「それぞれが求めているものに必ずめぐりあえるからね。気を引き締めて旅しなさい!」
と言った感じでしょうか?
機会がありましたら、熊野の古道を一度歩いて見られることをお勧めします。
奥の院 釈迦如来の御詠歌
ここもたび またゆくさきも たびなれや
とりは いけべの きにやどる うおは げっかの なみにふす
ひとは なさけの そでのした われには やどる いえもなし
いづくの つちに われや なるらん
これを聞いて、中世の俳人 松尾芭蕉の「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也
・・・」という奥
の細道の名文を思い出してしまうのは私だけでしょうか・・・
山主 識