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  20世紀の長屋の王、猫たちの物語

その5 <捨て猫フースケ>

               


 夏の終わり、薄暮れのなかにトラ猫がいるのが台所の窓から見える。「モヤ〜」と声をかけたら、フアーッと吹きつけて猫は走り去った。どこの猫だろう、まだ小さい子猫のようで少し気になった。
 ほどなく、その猫がゴミ箱のそばで空の発泡スチロールをかじっているのを見つけた。洗って魚の匂いなど残っていないはずなのにと、胸が痛んだ。エサを差し出したら、警戒しながらも私の手から食べている。背中に手を触れると、緊張感が走るが逃げない。生後4〜5ヶ月か。おそらく捨てられて、多少時間が経っているのだろう。モヤがどんな反応を示すかと心配したが、やや離れた位置にいて野次馬見物だ。拒絶反応がないところを見るとオス猫かもしれない。
 1日に何度も現れるようになって、住んでいる場所がわかった。アパートの筋向かいの、大工さんの資材置き場。壁板に破れ目があって、どうもそこを出入りしているらしい。それに驚いたことに、にいちゃんと顔見知りのようなのだ。一緒に連れ立ってやってきて、小さな前庭で遊んでいる。というより、子猫が勝手についてきて、にいちゃんのシッポにじゃれついているのだ。にいちゃんは鷹揚だ。しかしあまりしつこいと、ちょっと怒って見せている。
 にいちゃんが上がるので、当然子猫もハシゴを上がって入ってきた。風呂場には2個の食器が並んだ。同じものを与えても、子猫はにいちゃんのエサを奪いにいく。父親に甘えるように、まるでわがもの顔なのだ。
 しばらくは緊張していたが、次第に身体をさわらせ、抱っこもさせるようになってきた。オス猫だということがわかったので、これはいずれ去勢手術をしなければならない。
 長屋に、珍妙な3匹のグループが誕生した。モヤは弟分ができて結構ご満悦。「あんたちょっと生意気よ」などと、平気で猫パンチを食らわせている。フースケと名付けた子猫は、目をぱちくりさせながらもモヤ姉ちゃんの後を追う。にいちゃんは大人然として、そういう彼らを受け入れているようだ。
 オス猫を飼ったことがない私は、甘ったれのフースケが可愛かった。やがて冬が来て手術の日を迎えたら、風呂場でなくちゃんと家の中に迎え入れてやろう。

 去勢手術が済む頃、フースケはモヤと変わらない大きさに育っていた。フースケの態度はデカくなり、モヤの態度は謙虚になって、立場が完全に逆転した。
 猫のために魚を買いに行く幸せがあった。ドライと缶詰も与えていたが、安くて新鮮な魚を手に入れるといそいそと帰宅して料理する。2匹が同じ眼をして、鳴きながら私の手元を見上げている。モヤは食べることに淡泊な猫だったので少し食べるとフースケに譲って、彼の身体はますます大きくなった。
 2匹は、ベッドカバーのすそで毎日飽きもせず遊んだ。フースケは毛糸のモチーフが大好きで、いくつ用意しても、ベッドの下でなくしてはがっかりした様子で台所にいる私を呼びにくる。フースケ、フーチュケ、フチュケ、ウー・・・。私はその時の気分で勝手に呼び名を変化させた。猫には何だってよかったのだが。
 夜はベッドで川の字になって寝た。フースケは態度が大きかったので半分を占め、私とモヤが半分をさらに分かち合う。私の腕が布団からはみ出すことも普通だった。
 しかし、ノラをした習性だろうか。真冬なのに明け方になるとどうしても外へ出たがる。毎朝3時4時に騒いで起こすので、私は慢性的な睡眠不足なり、なんとかせねばと焦りはじめた。 そんなある日、いつものように早朝出かけたきり、フースケは二度と帰らなかった。

 それから3ヶ月も経たないある日、夕方出かけたモヤも帰らなかった。

 
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