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  20世紀の長屋の王、猫たちの物語

その3 <モヤとふたりで母子家庭>

               


 モヤは我が家でもカーテンのぼりを得意としていた。カーテンはどちらかというと、横断の方がおもしろいらしい。私を困らせるつもりで、わざと後ろを振り返りつつ、やってのける。
 こちらもだんだんとつきあい方が分かってきて、初めの頃のように声を荒げるというような無駄なことはしない。2部屋しかないが、知らん顔して隣の部屋へ行く。モヤが古い塗り壁に爪を立てようとするときも、私はこの手を使う。
 見ていないとちっともおもしろくないのである。ぷいと挑発行動を取りやめて、台所へエサなどねだりにくる。私の勝利だね!。

 私の猫連れ出勤は1年ほど続いたが、ある日勤め先に2匹のきょうだい子猫が登場して幕を閉じた。縁あって捨て猫が拾われてきたのだ。モヤは新入りの子猫たちにすごんで見せた。即刻、「お引き取り願いましょう」となったわけである。避妊手術も終えて1人前になったモヤは、そろそろひとりで留守番ができる年頃になっていた。
 しかし、毎朝、モヤを置いて出かけることは思いのほか大変であった。一緒に出かけると言ってきかないのだ。家の中に閉じこめようとしても、ドアをすり抜けて飛び出してくる。車のドアを開ければ乗り込んでくる。あるいは車のボンネットや屋根にのぼって降りようとしない。なだめてもすかしても、手を伸ばして降ろそうとしてもだめ。あげくの果て、チンピラやくざのように肩をそびやかして斜めに構え、耳をオールバックにし、眼をつり上げて「ファー」と威嚇する。
 こちらの方が泣きたくなってくる。猫と言葉が通じないもどかしさ。もう時間がない。何とかひっつかまえて車から降ろし、エンジンをかけるやいなやダーッと道路へ。懸命に追ってくるモヤがミラーに写る。どうか車に轢かれないうちに家に戻って、と祈るような気持ちである。

 歩いても2,3分の距離に、私の両親の住まいがあった。どこへ行くにもついて行きたいモヤは、里帰りももちろん一緒だ。私より先に車を降りて、おばあちゃんこんばんわ、と裏から上がり込む。
「あーら、いらっしゃい」と母も孫を迎えるような口調だ。
 モヤには勝手のわかった家。例によって2階に駆け上がって大騒ぎだ。しかし、騒いだり隠れたりしながら、ちゃんと私の動きを見ている。車に忘れ物があって取りに戻ったりすると、不安そのものの顔で追ってくる。
 ところがである。本当に「さあ、帰ろう」というと、またまた私を手こずらせる。一度車に乗せ損なうと、ちょっとやそっとで捕まらない。なんで猫と根くらべしなければならないのだろう!ええい、ままよ、とモヤを残したまま1軒先の角を曲がってしまう。
 しばらくすると、身も世もあらぬ猫のウラ声が聞こえてくる。まるで捨てられた猫の声ではないか。やれやれ。

 その日がどんな一日であろうと、モヤは夜には私と一緒に寝なければならないと考えていた。どこにいても電灯を消すと私のベッドにやってきた。私の身体の左側にまわると、左頬をぺろっとなめて布団の端を持ち上げてと合図する。私の脇腹にもたれ、しばし身体をなめて寝る支度。限りない安らかさが私を包む。とろけるような眠りのなかに、やがて落ちていく。


 
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