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  「祖母の贈り物」について


 正確には3度の結婚をし、93歳まで生きた明治生まれの祖母のことを書いておきたいと思ったとき、無意識のうちに方言を交えた言葉を選んでいた。最初から方言詩を書こうとしたのではなく、血縁について遡ろうとする作業が、祖母、母、私を育んだ紀伊半島南部の日常語を使わせたという気がする。
 とはいえ、昭和20年代生まれの私が使う方言は、ほとんど関西共通のゆるやかな表現でしかない。祖母よりも母、母よりも私というように、生まれた土地固有の方言は急速に失われ、アクセントや語尾にその痕跡をとどめる程度である。
 それにしても、ちんばという言葉。これは漠然と方言だと思っていた(びっこ=が共通語だと思っていた)が、広辞苑に載っていて少し驚いた。祖母の時代に最も一般的に使われ、母たちも使ってきたが、私の世代ではあまり使われない。罵ったり、蔑んだりと、小さな社会で否定的に、それゆえ好まれて使われてきた言葉は、方言と並んで会話の後方に退きつつある。
 そうすると、私の詩のなかで解釈を必要とするような方言は全くなさそうである。それならば何故方言で詩を?となるが、やはり共通語に置き換えられない何か・・・土地に根付いた感性や、生活様式に基づく体内のリズムのようなもの、その底をつき動かす感情・・・が確かに存在するからだろう。私自身今では共通語による発想が圧倒的に多いが、まだどこかに方言という固有の体温計を宿しているようである。
 土地と時間が方言を育て、その土壌に立つ者に方言詩を書かせてきたのだと改めて気づくが、さてこれからはどこへ行くのだろうか。
 情報の洪水のなかで土着の匂いがどんどん消し去られようとしている時代だからこそ、1作くらい自分の肉声に近い方言詩を書くことができて良かったかと考えている。

 1997年、著名な詩人のK氏がS社から「日本方言詩集」を出版するために全国の方言詩を募集しているということを、所属する詩のグループを通じて知った。
 そこで私は方言混じりの「祖母の贈り物」に、必要とされた短文を添えてとりあえず応募してみた。それが上記の文章である。
 その後、S社から地方別に分類した掲載予定者の一覧が送られてきた。原則として応募者全員の詩を掲載する予定であることが、そのときに分かった。
 ところがしばらくして、思いがけなくS社から電話がかかった。私の詩のなかに差別語と思われる言葉が含まれているので、今回の掲載を見合わせたいと。それはK氏の意向であるということだった。
 私は、「ちんば」と言われたのは私自身であること、他の誰を傷つけるものでもないこと、かつてそういう言葉が使われた時代があったことは事実であることなど、真意を伝えようとしたが無駄だった。そういう筋からクレームがつくことも考えられるというのだ。ただ私が簡単に承服しなかったため、もう一度K氏に相談してみるということでその電話は終わり、数日後やはり結論は同じであることを電話で伝えてきた。
 詩がつまらないからと言われるなら、すぐに納得する。そうでなく、使われている言葉が詩とは何の関係もないところで不適切だと指摘され、後味の悪い思いを残してこの一件は幕を閉じることになった。
 他の言葉に書き換えるなら載せると言われたことも、苦い思いを煽った。障害者差別も部落差別も歴史上の事実なのだ。具体的にこんな差別があったと書いても、差別なのか。
私は詩や短文のなかで差別を追及することが目的ではなかったから、深く踏み込まなかっただけである。
 マスコミに対する「言葉狩り」やマスコミ側の「自主規制」など、かつて差別をめぐる過剰攻撃や過剰反応があったことは聞いていた。まさか私自身が自分のことを書いて、それに巻き込まれるとは、予想外のことであった。
 翌年、「日本方言詩集」は出版され、当時の事情を少し知っている詩の先輩が私のもとへ1冊送ってくれた。が、素直に開く気持ちになれず長い間本棚にあった。その一方でいつか時効が来た頃、この出来事について文章にしたいと思い続けてきた。
 これを機会に、私の出来事とは何の関係もない全国の方言詩を、3年遅れてじっくりと読むことにしたい。



詩「祖母の贈り物」
 
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