top
  2004年8月のひとこと
            −MOYAの掲示板より−



 2004年8月15日、「戦争が終わった日に」と題するつたない文章を書きました。戦争世代の両親から生まれた私の、ささやかな意思表示でした。
 
 戦後59年、戦争によって殺すことも殺されることもない歴史を刻んできた日本が、今踏み出そうとしているのはその歴史に逆行する方向です。
 自分の人生はかけがえのないものと、誰もが思っています。どんな大義名分をもってしても、人が自分らしく生を全うする権利を奪えるはずはありません。それは、世界中のすべての人々に言えることです。

 私たちには何もできそうにないような気がしますが、機会をとらえて発言することはできます。考えることも、情報を得ることもできます。もちろん、戦前には持つことができなかった選挙権もあります。
 そのことをもう一度確かめる意味で、掲示板へ寄せられたみなさんの投稿を、ここにまとめてみました。

                            (投稿順です。


 実際に戦争体験を耳にして育つのは、私たちが最後になってしまうのではと危惧しています。
 私も叔父がmoyaさんのお父様のようでしたからとても反発しました。 自分で考えるためにも、戦争がどんなものかをもっと伝える努力が必要ではと思います。
 病気や障碍を持つ人たちが自分たちの権利や生きるすべが現行の憲法で守られていることをもっと自覚する必要があるのではないかと思っています。(Pさん)                       



 感動して読みました!オリンピックの開会式を見ながら、今もイラクで戦争が・・。
7万人の兵士による、厳戒態勢。世界がひとつになって、スポーツを楽しむには、まだ現実はほど遠いようです。
  先日広島で被爆された方のお話しを聞きました。ハンカチが涙でぐちゃぐちゃでした。聞くほうより語るほうが、どんなにかつらいことなのに・・・。

 戦争は終わってない、とその方は言ってました。(Hさん)




 大切な物の土台が少しずつ削られています。倒してはなりません。
防空壕も艦砲射撃も、灯火管制も知る世代の一人として、死ぬまでに書き残しておかねばと、改めて思いました。(Sさん)

                                 


moyaさん、戦争が終わった日に読みましたよ。
ヤーチャイカの仲間に誕生日の人がいます。
思いはさまざま、トップの蓮の花からも亡くなった人たちへこころが届きますように。
                                 (Uさん)



moyaさんのお父さんのような人。知人のお父さんで、奥さんが戦争を批判すると「貴様それでも、帝国軍人の妻か」と・・
教育って、人を変えてしまうんですね
でも、人が殺しあうことは絶対あってはならないこと。(Yさん)


残念ながら、本当に大事な事や、今真剣に考えなければならない事を、伝えるマスコミがほとんどなくなってしまったことです。経済界の意向に流されっぱなしです。
 こちらが努力しないと本当の事は見えません。
 先日 TVの中で誰かが言っていた言葉ですが、強い立場(権力者)の人間は、弱い立場の人間の痛みを理解できなくなっている。
今の政治の世界も経済界も全くその通りだと思いました。 (Kさん)


宇宙140億年、地球38億年の歴史の中で、地球と言うものが如何に貴重で、且つ儚い存在か、を考えたら、人類同士憎み合うことの如何に愚かなことかが理解できるはずです。
                                   (Wさん)


 moyaさんの「戦争が終わった日に」拝読しました。
「戦争を知らぬ親なりこの夏は『裸足のゲン』を子と語りゐる」  
これは我が子たちが小学生の頃の情景を詠んだ一首です。20年位前の拙い歌です。
 私はmoyaさんと同じ世代。ちょっぴり年上です。伯父がグアムで戦死しています。中学生の時、その遺品が現地で見つかりました。触れればボロボロとくずれそうな赤茶けた大学ノートに、日記が綴られていました。空腹のこと、食料は南瓜のみとのこと、6歳の我が子を案じること・・
 その日記を見たことが私の唯一の戦争体験です。遺児となった従兄もとっくに60歳を過ぎています。
3年まえのお盆に帰省した時の歌
「黒潮を見下ろす故郷の地に眠る戦没者らの係累も老ゆ」
(Mさん)


 「戦争が終わった日に」拝読。とても大切な体験です。私は23年生まれ。傷痍軍人、ガード下の血の手形、日本刀で切りつけられた朝鮮人の背中、それ等を見て育ちました。あれからずっと、いつも世界のどこかで戦争は続いており、いまも傷ついた人々で地球は溢れています。
(Jさん)


 「戦争が終わった日に」を拝読しました。
私の1945年8月は小学3年でした。15日は夏休みの最中でしたが特別召集があり、正午の玉音放送を炎天下の校庭で聞かされました。ラジオからの天皇の声は音も悪く言葉の意味も判りませんでした。それでも何となくただ事ならない雰囲気は伝わってきました。蝉の声がしきりに聞こえていました。
 17日から2月期が始まり、混乱の中9月からは教科書の墨塗りに明け暮れして殆ど読むことの出来ない物になりました。書けば長くなります。
 今の日本が再び踏み出していけない方向に足が向き出している感じを強くもっています。ここで踏ん張らなくては後悔すると思います。
(MOさん)
                                


 
 index back
next