2A 岡 真稔

「熊野古道」とは、中世以来、紀伊半島の南に位置する熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)に詣でるため、平安時代の貴族に始まり、武士や庶民に至るまで、約千年にわたってたくさんの人々が、歩いた参詣道である。
この「熊野古道」が通る一帯は、いまでも手つかずの自然が多くのこる環境で、昔から、神々が宿る特別な地域と考えられていた。神道や仏教、さらには修験道や真言密教などというまったく違ったものを、さらに老若男女、区別することなく受け入れ、そのまま今世紀まで参詣道として歩き続けられてきた。
また、「奥の細道(東北〜中部)」「中仙道(信州〜中部)」とともに、日本三大古道の一つでもある。
熊野古道は、京都を出発点に大阪府内、和歌山県の田辺市付近まで縦断する「紀伊路」、そこから熊野三山まで海岸線を往く「大辺路」、紀伊半島を横断する「中辺路」があり、高野山と本宮をつなぐ「小辺路」がある。また、本宮大社と速玉大社をつなぐ「熊野川」も信仰の対象とされ、多くの人々が往来した。
さらに、伊勢から入る「伊勢路」、奈良県吉野とつなぐ急峻な山道は「大峯道」と呼ばれている。
その殆どが山越えの険しい峠道で民家も少なく、行き倒れも多く難行苦行の修行の旅であったことは想像に難くない。
当時、熊野詣でをする前には、精進所を選定してふつう7日間の精進潔斎をした。
出発は鶏鳴寅の刻、精進所を発ち、京都鳥羽の渡しより屋形船で桂川を出、やがて淀川を下り大阪の窪津に上陸(現在の大阪市東区八軒屋浜であったという)。
ここから陸路が始まった。
熊野12権現の中に「若一王子」といって天照大神が祀っているが、これは熊野三山の最初の祭神である伊邪那岐・伊邪那美 2神の子供の神ということで「王子」という。
また、神仏習合の上から、仏教語の「童子」に対する神道の言葉として「王子」を用いたものとも言われている。熊野99王子は、大阪から熊野に出る道中に散在する神社で、熊野詣での際の、遙拝所・休憩所・宿泊所となった。今で言う道の駅に、イベント広場や宿場がある感じだろうか。
最初は、藤白・塩屋・切目・岩代・滝尻・近露・発心門の7社にすぎなかったのが、皇族・貴族の参拝が多くなるとともに数を増していった。
王子の中の特に地位の高いものを、5つ選んで5体王子(藤白・切目・稲葉根・滝尻・発心門)と称し、奉幣、読経、相撲、芸能、歌会などの催しもあったようで、王子にはその舞台の残っているところもある。
各王子の地元では、ボランティアが旅人を助けたと思われる。旅人も病や障害をもちながら、決死の覚悟で歩く人も少なくなく、あちこちに行き倒れになった旅人のお地蔵さんや、伝説が数多く残る。
熊野は1千年の間、自然の懐に抱かれて、自然と向き合い「蘇り」と「癒し」の場所として、身分や老若男女を問わず、沢山の人が集まった場所である。その導きの道が、熊野古道である。


