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平成30年度 第3回 歴史の旅
平成30年11月29日(木)
南禅寺、銀閣寺、大原三千院、寂光院
南禅寺 当寺は、禅宗の臨済宗南禅寺派の 大本山である。鎌倉時代の文永元年 (1264)亀山天皇は水石明媚の当地 を愛されて離宮禅林寺殿を営まれた。 天皇はその後、東福寺第三世無関普 門禅師に深く帰依されて法皇となられ、 正応4年(1291)離宮を施捨して禅寺 とされた。 |
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方丈庭園 方丈(清涼殿)から南面するとそこに は代表的な禅院式枯山水の庭園があ る。清涼殿、庭園、借景の羊角領寺の 山並み三者がよく調和して、優雅枯淡 品格のある借景式の庭園である。 方丈 大方丈は前庭に面したこけら葺の建 物で天正年間豊臣秀吉が建造寄進し た御所の殿舎を、慶長16年(1611) 後陽成天皇より拝領移建したものであ る。 |
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銀閣寺 臨済宗相国寺に属する禅寺で、建 立は文明14年(1482)室町幕府八代 将軍足利義政公による。義政公は、祖 父にあたる三代将軍足利義満公の北 山殿金閣(鹿苑寺)にならい、穏栖生活 を過ごすため、山荘東山殿を造営。こ の東山殿が銀閣寺の発祥である。銀閣 寺は俗称であり、正しくは東山慈照寺。 義政公の法号慈照院にちなみ、後にこ う命名された。 |
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三千院 延暦年間(782~806)に伝教大師 最澄が比叡山東塔南谷の山梨の大木 の下に一宇を構えたことに始まる。その 後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安 後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡 となった。 持地は時代の流れの中で、比叡山内 から近江坂本、そして洛中を幾度か移転 し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨 本門跡、梶井宮と代わることになる。 明治4年、法親王還俗にともない、三千院 と称されるようになる。 |
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寂光院 当院は、、天台宗の尼寺で、推古2年 (594)に聖徳太子が御父・用明天皇の 菩提を弔うために創建された。 本尊は、六万体地蔵尊である。平成1 2年の火災で損傷、新たに復元された本 尊が本堂に安置されている。 初代住職は、聖徳太子の御乳人であっ た玉照姫(548)以来、代々高貴な家門 の姫君らが法灯を守り続けてきた。 |
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