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平成30年度  第1回  歴史の旅
平成30年5月29日(火)

奈良吉野: 吉水神社、金峯山寺
             明日香村: 石舞台古墳、都塚古墳、橘寺、飛鳥京跡、
       板蓋宮跡、飛鳥寺、


吉野・大峰は古代から山岳信仰の聖地であり、平安時代以降は霊場として
多くの参詣人を集めてきた。吉野山は古来桜の名所として知られ、南北朝
時代の中心地でもあった。金峯山(きんぷせん)とは、吉野山と、その南方
の大峰山に位置する山上ヶ岳を含む山岳霊場を包括した名称であった。
地名としての”あすか”は奈良県高市郡明日香村として限られているが、
昔からいわれている”あすか地方”はもっと広く、大和平野の丘陵地一帯を
さし、飛鳥川流域から大和三山に囲まれた地域を総称である。
中心地域はやはり明日香村であり、ここは縄文時代からの遺跡と、その上
に築かれた飛鳥時代の遺跡が、重なりあって存在している所である。

吉水神社(よしみずじんじゃ)
  もとは金峯山寺の僧坊・吉水院だっ
たが、明治維新の神仏分離により、神
社となった。後醍醐天皇を主祭神とし
、併せて南朝方の忠臣であった楠木正
成、吉水院宗信法印を配祀する。
  後醍醐天皇のほか、源義経や豊臣
秀吉ゆかりの地でもあり、多くの文化
財がされている。本殿は旧吉水院護摩
堂である。隣接する書院には、後醍醐
天皇の玉間と源義経が潜居したと伝え
られ間があり、重要文化財に指定
金峯山寺(きんぷせんじ)
  金峯山寺は、吉野町にある金峰山
修験本宗(修験道)の本山である。本
尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小
角(えんのおずの)と伝える。
  金峯山寺の所在する吉野山は、古
来桜の名所として知られ、南北朝時
代には南朝の中心であった。「金峯山
」とは、単独の峰の呼称ではなく。吉野
山とその南方二十数キロの大峯山系
に位置する山上ヶ岳を含む山岳霊場
を包括した名称であった。
石舞台古墳
  石舞台古墳は、古墳時代後期の古
墳。国の特別史跡に指定されている。
  元は土を盛り上げて作った墳丘で
覆われていたが、その土が失われ、巨
大な石を用いた横穴式石室が露出して
いる。埋葬者としては蘇我馬子が有力
視されている。


橘寺
  厩戸皇子(聖徳太子)生誕の地とさ
れ、皇子建立の七ヶ寺の一つ。「四天
王寺式」の壮大な伽藍配置を誇ったと
され、火災の記録から680年には建立
されていたことがわかる。建物は何度
も焼失し、現在の伽藍は江戸時代のも
の。境内に残る花形の柱穴の塔心礎、
また、一つの石に善と悪の二つの顔を
持つ二面石がある。
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)
  板蓋宮は、七世紀半ばの皇極天皇
の宮殿で、中大兄皇子(天智天皇)らに
よって蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変
(大化改新)の舞台。ここには複数の宮
殿遺構が重なっており、現在復元され
ている石敷広場や大井戸跡は上層の
飛鳥浄御原宮のものと云われている。


飛鳥寺
  6世紀末から7世紀初めに蘇我馬子
の発願で建てられた日本最古の本格
的仏教寺院。塔を中心に東、西、北の
三方に金堂が築かれ、それらを回廊が
囲む伽藍配置は日本国内には他に例
のない「飛鳥寺式」。鞍作鳥の作という
本尊の銅像釈迦如来坐像は「飛鳥大
仏」の通称で親しまれている。
飛鳥水落遺跡
  中大兄皇子が造った日本初の漏刻
(ろうこく)跡です。飛鳥川の水を使って
時を計っていました。漏刻とは水時計
のことです。
厩戸皇子