戻る


平成29年度 第1回 歴史の旅


方広寺・龍潭寺・大河ドラマ館「おんな城主・直虎」

2017年のNHK大河ドラマの主人公に選ばれ、注目が高まる
井伊家唯一の女領主「井伊直虎」ゆかりの地を訪れました。
井伊直政の実母の出身である奥山家ゆかりの方広寺、直虎の
供養塔を初め、井伊家の墓所が祀られている龍潭寺、ドラマの
舞台の井伊谷、衣装小道具の展示や映像を楽しむ大河ドラマ館
を訪れてきました。


方広寺
  1371年にこの地の豪族奥山朝藤の
開基により、後醍醐天皇の皇子無文元
選を開山として、創建された寺である。
  方広寺は、井伊直政の実母(奥山因
幡守朝利公「朝藤公から数えて4代目」
の息女。)の出身である奥山家のゆか
りの寺。
 直虎と直政実母は、龍潭寺南渓和尚
のもと、非常に親密な関係で、井伊直政
を育てたことが伺われます。
  本堂は明治38年から大正7年にか
けて竣工されたものです。大額「深奥
山」は山岡鉄舟居士の書によるもの
です。
  本堂には、釈迦如来を中心に、向か
って右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が並
ぶ釈迦三尊像です。  元々茨城県の
静音寺の仏殿に祀られていましたが、
元禄3年に徳川光圀公参拝のみぎり、
損傷甚だしきを憂い修復された旨が、
光背理に明記されています。明治後期
に特に懇請してご本尊としてお迎えさ
れています。
半僧坊真殿
  鎮守半僧坊大権現をお祀りしていま
す。 伝えによると、無文元選禅師が中
国より船に乗船して帰国のおり、台風
に遭遇されました。船の中で、禅師は
一心に観音経をお読みになっておられ
ました。そこに一人の異人が現れて、
「わたしは禅師が正法を伝え広めるた
めに、無事に故国に送り申します」と
叫び、無事に嵐の海を渡って博多の
港に導いたのでした。
この方広寺を護る鎮守さまとして祀
られ、世の人々の苦しみや災難を除
く権現さまとして、ご信仰をあつめて
いる。また航海安全を祈願するため
に、尾鷲や四日市からもお参り来て
みえるようです。





五百羅漢
  方広寺の境内には「5百羅漢」と呼
ばれる石造が点在しています。釈迦
入滅後、経典編纂の第一結集、第四
結集に500名の仏弟子達が集まった
ことに由来しています。 
 中国や日本で500人の羅漢に対す
る信仰が生じ、五百羅漢像が彫られ、
それを安置する五百羅漢寺が建てら
れるようになった。
 方広寺と直虎の関係を家系図をもと
にお話を聞きました。また方広寺は直
政の実母の出身の奥山家ゆかりのお
寺でもある。その奥山家についての説
明もありました。





昼食は、方広寺の精進料理をいただ
きました。
龍潭寺
  浜松に600年、激動の歴史を繋い
だ井伊氏歴代当主の御霊が眠る寺。
直盛の一人娘として誕生した直虎は
龍潭寺で男性名「次郎法師」を名乗り、
出家することを決意します。直虎は龍
潭寺の住職である「南渓和尚」計らい
もあり、ただ一人の後継者で直親の
遺児である「直政(虎松)」を後見人と
して養育しながら、女領主「井伊直虎」
となり、井伊家断絶の危機を救った。
釈迦牟尼仏
  遠州最大の大仏。体・顔に残る傷あ
とは、明治時代の廃仏棄釈の際につけ
られた歴史的痕跡である。

一刀彫りの龍
 伝左甚五郎作、今はなき大仏殿の蛙
股の彫り物
  龍潭寺庭園は、江戸時代初期に本堂
北庭として築かれた池泉鑑賞式庭園であ
る。中央に守護石、左右に仁王石、正面
に礼拝石が配され、さらに池の形が心字
池となっていて寺院庭園として代表的な
庭である。数多くの石組みと築山全体で
鶴亀が表現されている。