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平成28年度 第1回 歴史の旅
真田庵 真田古墳 真田ミュージアム
三光神社 心眼寺 円珠庵
平成28年5月26日(木)に、天下分け目の関ヶ原の戦いに敗れた
真田幸村が父とともに隠れ住んだ里、九度山(和歌山県伊都郡九度山
町)と、大阪城の出城として築かれ井丸「真田丸」であった天王寺区
玉造へと真田幸村のゆかりの地を訪ねてきました。参加者は40名でした。、
真田ミュージアム 関ヶ原の敗戦後、父昌幸とともに蟄 居(ちっきょ)を命じられた地、九度山。 真田昌幸、幸村、大助の真田三代の 奇跡と14年間過ごした九度山での生 活をパネル展示と映像で紹介されてい ました。また、大河ドラマ展にて、出演 者のパネルやドラマで着用した衣装、 小道具等の展示もありました。 |
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真田庵(善名称院) 真田昌幸・幸村父子の屋敷跡に建 てられたお寺です。本尊には延命子安 地蔵菩薩が祀られていました。 門や亙には旗印の六文跈が形取られ ていました。 幸村公が蟄居中、真田屋敷に落ちた 雷をとりおさえてこの井戸に封じ、里人 の難を救ったという。こんな言い伝えが あるようです。 |
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真田古墳(真田の抜け穴伝説) 「この穴の向こうは大阪城に続いてい て、かつて真田幸村はこの抜け穴を戦 場へ出向いた。」という伝説が残ってい ます。実際は、古墳時代後期の古墳で したが、真田の伝説が残る場所として 真田古墳と名付けられたようです。 |
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昌幸・幸村父子が蟄居を命ぜられ、 真田家の菩提寺である高野山蓮華定 院に身を寄せました。 その高野山を真田古墳から見たとこ ろです。 |
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三光神社 現在、大阪市天王寺区玉造町の宰相 山公園のある丘は、宰相山とも真田山 とも言われている。かつては大阪城の 出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣の ときには真田信繁が大阪城から当地ま での抜け穴を掘ったと言われ、社殿の 下に残っていました。 境内には、真田屏風に描かれた真田 信繁を元にした像がありました。 |
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心眼寺 「真田丸」があった場所に、幸村・大助 父子の冥福を祈るために堂舎が創建さ れました。それが心眼寺で、寺の定紋は 真田家の六文銭と定められ、山号は真 田山である。 しかし、当時、大坂は江戸幕府の直轄 地であったため、豊臣方の武将であった 幸村の墓をつくることは許されなかった そうです。 |
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従五位下真田左衛門佐豊臣信繁之墓 真田丸の戦いがあった「大坂冬の陣」 から400年目にあたる2014年、信繁 四百回忌に、ご住職の長年の願いが叶 い、ついに墓碑が建立されました。 真田丸顕彰碑 心眼寺向かい側に2016年2月、設 置されました。 |
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円珠庵(鎌八幡) 真田幸村が、陣所内にて当時信仰を集 めていた御神木に「鎌八幡大菩薩」と称 して慣例に習い鎌を打ち込み、必勝を祈 願したところ、大いに戦勝をあげたと伝承 されている。 江戸時代以降は、真言宗の祈祷と結び つき、現在の形の「悪縁を絶つ鎌八幡」と して信仰を集めている。 |
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