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平成30年度  第2回  ふるさと講座

安濃町

平成30年8月30日

  明合古墳(国指定史跡)
 主墳は1辺60mの方墳で、北東部と
南西部に方形墳状の造り出しを持つ「
双方中方墳」という珍しい形態です。
 全長は81m、墳丘は二段築城で高
さ8.5m、造り出しはそれぞれ長さ8m
と13.5m。一部に周濠が巡り、周辺に
方墳が5基あると言われています。


 
 平田12合墳(移築)
 安濃中央総合公園の一角に、長谷山
の麓から平田古墳12合墳の磚槨式石
槨石室が移築されています。渡来系の
石室で石の扉の痕跡があります。






 大名塚古墳群
 古墳時代後期(6世紀後半)の構築と
考えられます。石室の広さや出土遺物
の年代から3人程葬られた可能性があ
り、横穴式石室古墳としては、安濃川流
域では最大のもので使用している石の
大きさも最大級のものが使われていま
す。明治36年の考古誌に遺物として、
鏡や剣・曲玉・須恵器などが記載されて
いるが、現存するのは須恵器土器十点
ほどです。
 比佐豆知神社(ひさづちじんじゃ)
 菅原道真公を祀るこの神社は現在地
より2km隔てたヒサツ畑に鎮座されて
いたと言われています。草生越前守の
願いにより現在の地に移されたと言わ
れています。
  地元では草生の天神さんと呼ばれ、
毎年3月25日は例祭で賑わっていま
す。

 
 安濃城
 安濃城は安濃川左岸の標高30~60
mの丘陵状に築かれた平山城で、中伊
勢最大の規模を持った戦国山城です。
 丘陵地頂部の阿由多神社を主郭とし
て、松原寺の北側の山林一帯まで東西
450m、南北350mにわたって城趾が
広がっています。
 阿由多神社
 
明治40年10月、安濃・内多・曽根・
清水・大田の各社を合祀。
 明治41年10月村社阿由多神社とな
る。
 松原寺
 
本尊は阿弥陀如来です。真言宗から
真宗高田派に転派しました。境内に祀
られている細野薬師は細野藤敦の守り
本尊だと言われています。
 聖徳太子立像  
 
松原寺に安置されている太子2歳の
時に東に向かって合唱し「南無仏」と唱
えた姿をあらわした像で、一般に南無
仏太子と呼ばれています。
 孝女登勢の墓
 連部にある孝女登勢の墓は、江戸時
代に建てられた墓です。登世(登勢)は
6歳のとき連部に養女としてもらわれて
きましたが、養父母が病におかされ、家
が大変貧しくなってしましました。そこで
登世は奉公にでるかたわら、こまめに家
を手伝い看病しました。
 その後も、村人の手助けを受けながら
も看病に専念するなど孝養をつくしてい
ました。
 領民の孝養話として聞きつけた津十代
藩主藤堂高兌公より米や金銭などの褒
美が与えられました。
 53歳で登世は亡くなりまししたが、この
墓は登世への顕彰として藩により建てら
れました。
 
 


 
 毘沙門天立像(善福寺)
 連部の天王山善福寺に安置されている
毘沙門天立像は、平安時代後期の作りで
高さ約1mの木造の像です。頭や体は檜の
一木造り、腕などは別材で寄せられていま
す。
 当初は朱色が施されていましたが、現在
はほとんど剥落しています。
 町内に残る仏像の中でも優れた作品で、
安濃町の古代仏教文化の高さを示してい
るようです。