教会長のページ

2012年5月 6日(日)

雹が降る!

地震、津波、大雨による大きな自然災害が続いています

が、5月6日、今度はつくば市で竜巻による信じられな

いような被害がありました。こんなことがあるのかとビ

ックリしています。

同じ5月6日は、五十鈴川親教会の月例祭でした。雷注

意報が出ていましたが、あまり気にすることもなく車を

走らしていました。ところが、伊勢市に入る手前辺りか

らすごい雨と雷となり、教会に着いて車から降りるとき

にどうしようと考えずにはいられないような状態となり

ました。少し恐怖を感じるぐらいでした。

幸い、教会に着いたときには少し小降りになっていてホ

ットしましたが、その後何かしらボロボロと音をさせて

白いものが降ってきました。皆と、雪じゃないね、あら

れ?、ひょう?あられとひょうとどう違うの?と大騒ぎ

となりました。

後で調べたら、空から降る5ミリ以下の氷の粒が霰(あ

られ)、それ以上を雹(ひょう)ということでした。ち

ょうど5ミリ位だったかと思うので雹でしょうか、ひと

しきり降ってきました。その後静かになりましたが、祭

典の後半になった頃、またしてもボロボロボロと大きな

音がし出しました。さっきの比ではありません。すごい

大きな音で地面や屋根を打ち付けます。時間も長かった

ように思います。

祭典中で見に行くわけにもいかず、窓を閉めに立った人

はいましたが、皆さんとても落ち着いていて、静かに祭

典、またお話を聞いていました。しかし、私もそうでし

たが、心の中は恐怖と不安と心配で浮き足だっていたと

思います。それは、今まで出会ったことのない気配だっ

たからです。あのような音を聞くのは初めてのことでし

た。

雹が降るというのは、竜巻の起きる前兆だということで

す。もしかしたら、つくば市のように伊勢でも竜巻が起

こっていたかも知れないと思うと、他人事として考える

ことはできません。何時何が起こっても、恐怖、不安、

心配でいっぱいになるような信心でなしに、よしここで

おかげいただくというように勇み立つ信心をさせていた

だかねばと反省しました。



2012年4月26日(木)

八重桜

教会の庭の八重桜が咲きました。

教会の庭には古木の八重桜があります。いつも少し遅れ

て咲くきれいな花は、みんなの楽しみでした。

しかし、去年はどうしたことか花は全く咲かず、葉もほ

んの少ししか出ないという前代未聞の事態となり、もう

駄目なのかも知れないと思いました。

何とかまた花を見せてほしいと、根本までびっしり生え

ていたリュウノヒゲが原因ではないかと考え、半径30

センチほどを取り除いてみました。

このことが効を奏したのか、今年は青々とした葉が出、

もしかしたらと思っていた花も咲いたのです。嬉しくて

仕方がありませんでした。花を見つけた人は、よかった

ですね、花が咲きましたねと一緒に喜んでくれています。

人が難儀にあっているのを見るのが辛い、人が助からね

ば神が助からない、とおっしゃる神さまのお心に触れさ

せてもらったように思いました。

八重桜

八重桜


2012年4月26日(木)

トイレ洗面台の石鹸

今、外トイレの洗面台に置いてある石鹸が写真のように

縦に置いてあるのに気づいた人はいるでしょうか? おか

しな置き方がしてあるなと疑問に思ったり、横に置き直

したりした人もいるかもしれませんね。私も初めて見た

時、ウンと思いました。

しかし、これの石鹸の置き方は、在籍外教会実習で来て

いた学院生にトイレ掃除をしてもらったすぐ後からのこ

とです。「掃除終わりました」と報告を受け、見に行っ

たその時からのことです。学院生の方がされたことに違

いありません。

考えたら、石鹸を置いたその下はふやけて減りが早くな

るものです。普通に横に置いたらその下全面がふやけて

しまいますが、縦においたら横に置いた時の半分から3

分の1の面積になります。石鹸が減ってくれば、いずれ

は横に置く他なくなりますが、それまでの間、少しでも

石鹸を大切に使うことができることになります。本当に

わずかなことかもしれませんが、素晴らしいことだなと

思いました。

学院生の方に確かめることはできませんでしたが、多分

在籍教会ではごく当然のこととして教え伝えられている

ことに違いありません。

世話になるすべてに礼をいう心が、言うだけでなくてこ

こに実践されていると思いませんか。素晴らしい信心実

践の方法として、私たちも心がけて行きたいものです。

立ってる石鹸


2012年4月1日(日)

今 天地の開ける音を聞いて目を覚ませ

この度の御大祭で、開帳役の御用をさせて頂いた。祭

典の一番最初に御幕を開けさせて頂く役である。もう何

度もさせて頂いているお役だが、今回はお天気のことと

重なり、まさに「今、天地の開ける音を聞いて目を覚ま

せ」の教えを頭と心に突き刺して頂いたような気がする。

  そしてまた、一緒に御用をさせて頂いた方の中に、賛

者の役をされた70歳後半から80歳前半と思われるお二人

の先生のことが頭と心に強く印象に残った。

 それは、普通賛者の役は若い20歳台の人の役である。

それを高齢の方がするのはとても大変なことだ。私であ

ったらまず断ると思う。その役を引き受けたことに感動

し、そして当日まで神様に御用の成就を真剣にお願いし

てきたであろうことに心を動かされずにはいられなかっ

た。            

 ともすると、私たちは直ぐに「私にはできません」

「私には無理です」とやる前から尻込みしていることが

多いように思う。それを一人でない、お二人もの高齢の

先生が、祈って受け、祈って御用に取り組まれたことは

見習わせてもらわねばならないと思う。       

 以上のことから、「天地の開ける音」を聞く耳を持ち

なさいということ、そしてそれはどんなことも無理なこ

とと思わず祈って取り組むこと、しっかり実践して行き

たいと考えている。

祭典


2012年3月11日(金)14:46

 昨年3月11日に起こった東日本大震災の当日、図らず

も春のご霊祭をお仕えすることになりました。これは、

神様が私達にしなければならないことを教えてくださっ

ているのだと思います。

 11日には、震災の起こった東日本の各地では1年の慰

霊祭が行なわれます。本教においても、11日の当日には

御本部で、また18日には現地で慰霊祭が執り行われます。

 突然の地震、そして津波によってたくさんの方が亡く

なられました。とても辛いことです。命びろいされた方

も失ったものが多く、生きがいを無くされたり、生活手

段を失われたり、困窮されている方がたくさんいます。

 被災地から遠い私たちは募金をしたり、電気の節約を

したり、自分たちに出来ることを探し、痛み苦しみを少

しでも受け持たせてもらいたいと努力してきました。

 一年が経ち、今改めて多くの方が亡くなられたこと、

今まだ途方に暮れた生活をしている人がいること、原発

事故で住み慣れぬ我が家に戻れぬ人がいることを忘れて

はなりません。強く思わねばなりません。そして、私た

ちが出来ることを捜し、実践していかねばなりません。

 私たちができること、それはまず祈ることです。祈っ

て祈って祈って、祈りぬいていくことです。そこから助

かりが生まれてくることを信じて祈りぬいていきましょ

う。


親先生の想い出(1月28日)

○火鉢の縁を太皷をたたくように「トントントン、トン

トントン」といつもリズムをつけて指でたたいておられ

た。 

○月例祭などで、お話が終わりそうで終わらないことが

よくあった。

○寒がりで、毛糸で編んだ上下の下着を着ておられた。

またいつも懐炉を入れておられた。

○お広前の火鉢のところで、いろんな人に肩を揉んでも

らっていた。


万年筆(1月27日)

 近頃、万年筆が気に入っています。履歴書を書く人の

ために、その書き方を調べていた時、履歴書などの書類

は万年筆で書くべきであるとのことを知ったからです。

 そういえば、ずっと以前、何かの書類を万年筆で書か

ねばならないと、慣れない万年筆で書いた覚えがありま

す。最近はボールペンが普通で、どんな書類もボールペ

ンで書いて通用しないということはないでしょう。

 しかし、それ以来、万年筆のことが頭から離れなくな

りました。

 そして、「これは万年筆を使って書きたい」と思う書

類があったので、家の者に「万年筆はないかな」と聞く

と、「あるよ」と言うので、貸してもらいました。多分、

中学か高校の書写の授業で使ったものだろうと思います。

書類は、もちろん今までだったらボールペンで書いている

はずのものです。  

 その書類を書いてから、万年筆がこんなに書きやすい

ものだったのかと気に入ってしまいました。とにかく力

を入れないで書くことができるし、ボールペンでは書け

ないような小さな文字が書けることに驚きを感じました。

今ではほとんど万年筆を使って書いているといっていい

くらい、万年筆党になってしまいました。

 すると、もっといい万年筆だったらもっと書きやすい

のでないかと、腹の虫が動き出すのです。   

 このような私の心の動きを察したのか、突然アクシデ

ントが発生しました。使っている万年筆のインクがなく

なったので交換しようと、空になったインクのカートリ

ッジを外し、新しいのをグッと差し込んだとたん、ペン

先の入っているキャップの中にペン先の部分が入り込ん

でしまったのです。 

 しまったと思ってインクカートリッジを引っ張ったら、

ペン先の部分を残して、カートリッジ部分だけが抜けて

しまいました。            

 天地金乃神様、生神金光大神様、今まで以上に大事に

しますので何とか元どおりに使えるようになりますよう

にと願いながら、どうしたらいいのか考えました。  

  いろいろやってみましたが、結局みなうまくいかず、

最終的に、キャップの先をニッパーとカッターナイフを

使って切り落とし、ペン先を押し出しました。これがう

まく行き、キャップからペン先を出すことができました。

嬉しかったです。ありがたかったです。  

 しかし、キャップの先端部分を切ったのですが、もう

1ミリでも奥を切っていたらペン先を傷めているところ

でした。本当に間一髪でした。  

 おかげさまで万年筆は元のように使えるようになりま

した。重宝しています。    「世話になるすべてに

礼をいう心、平和生み出す心といわむ」

と前の金光がおっしゃっています。「平和」とは「おか

げ」と読み替えてもいいかと思います。万年筆がこの教

えの心を教えてくれたように思います。



車をシャッターで傷つけたが・・・

 先日、車を車庫に入れる際、いつものように車を止め、

いつものように車から降りて、いつものようにシャッ

ターを下ろすリモコンを操作した。シャッターは自動で

閉まるし時間もかかるので最後まで見ていることはめっ

たにない。       

 その日も何かしら急いでいて、教会内に入り、バタン

とドアを閉めた。その途端、ガガガーと変な音がした。

ウンと思って直ぐにドアを開けるとどうしたことか、車

の後ろの部分にシャッターが引っかかっている。

「しまった」と急いでシャッターを上げようとリモコ

ンを操作したが動かない。それよりも、シャッターが上

がろうとして車を持ち上げているではないか。

 「うわぁ、えらいことをしてしまった」と思いながら、

急いでシャッターを停止させた。近くへ行って見ると、

完全に引っかかっている。

 「5万円か10万円か、それとも神様が新車に換えてや

ろうと・・・」

 「この前大祭でずっと乗り続けるように話をしたばか

りだし、新車ということはないだろうな・・・」

 「しかし、これは大変なことになった。どうしたらい

いのか」

 とにかく車がどんなになったのか見てみないとと、シ

ャッターの開いている下のほうから車庫に入った。タイ

ヤと、タイヤの車止めの間に花壇用の土の袋が挟まって

いた。これが原因できちんと車が車庫に入っていなかっ

たのだ。

 その土の袋を取り除き、車に乗り込んだ。座席に座る

時に後ろで「グッ」と車とシャッターが擦れる音がした

がしかたがない。エンジンをかけて前へ動かした。動か

した時に「ガッガッガッタン」とすごい音がした。

 シャッターを上げて車を見た。「TOYOT」とエン

ブレムの「A」が無くなっていたが、へこんでいないし、

キズもそんなに大したことないみたいだ。

ありがたかった。思わず、「金光様、ありがとうござい

ました」とお礼を申し上げずにはいられなかった。

 そして、今度は「どうぞ直りますように・・・」とお願

い申し上げた。

 「TOYOTA」の「A」の部分を探すが見つからな

い。仕方がないのでキズの手当てを先にしようとワック

スを持ってきて一生懸命「金光様、金光様」と口ずさみ

ながら何度も何度も磨かせてもらった。また、「コンパ

ウンド」という汚れを削り取る液剤も使って磨いてみた。

 ありがたいことに、ほとんど分からないくらいになっ

た。

 「A」もコンクリートのところから少し外れた砂利の

ところにあったのを見つけることができた。こんな所ま

で飛んでいたのかと思うようなところだった。

 瞬間接着剤を買って来てもらい、「A」を付けたらほ

とんど元通りになった。

 今回、大きなミスを犯したのだが、そのミスがミスと

ならなかったこと、これはもう信じられない出来事とい

って良い。

 「信心してみかげのあるを不思議とはいうまじきもの

ぞ。信心してみかげなきときは、これぞ不思議なること

ぞ」

 この御教えが心に強く響きました。


夢(12月3日(土))

 先日、朝方に夢を見ました。本当にはっきりした夢で

した。

 初め、御本部会堂の地下休憩所でフォーゲルの行事が

無事終わったことについてお礼のお届けを教主金光様に

してくるように頼まれているところでした。

 お供えに、御献備ではなくて何か品物を渡されたので

すが、それがあまりにも貧弱で、自分のカバンの中に入

っていた他の品物も合わせてお供えさせてもらおうと考

えていました。

 夢の中のお広前はとても狭くて、お結界の前に5人も

並ぶと後ろがいっぱいになってしまうような場所でした。

 お結界が二つ並んでいて、金光様が座られるお結界と、

もう一つ控えの人が座るお結界がありました。その時金

光様はお座りでなくて、控えの人がお届けを聞かれてい

たのでそちらの方に並ばせてもらいました。

 そうしているうちに金光様が出てこられたので、今ま

で控えの人のお結界に並んでいた方達が皆金光様のお結

界に並びなおしました。私も、控えの人に申し訳ないと

思いましたが、せっかくお届けさせてもらうのだからと

並びなおさせてもらいました。

 私の番が来て、まずお供えの品を出させてもらったの

ですが、心積もりしていた品物がサッと出せず、少し戸

惑いながら、品物を2〜3個出させてもらいました。す

ると、金光様が品物の一つを見て「これはクジか?何が

当たるのか?」と聞かれるのです。私はおかしな物を出

したのかなと思いましたがそんなことはありません。何

のことか分からずにいると、お広前にいた係の人が、

「金光様、それはクジではありません」と答えてくれま

した。すると、金光様が大きく口を開けて、声高らかに、

「クジではないのか、ハッハッハッ」と笑われるのです。

 そして「これをあげよう」と何か妙な物を下さいまし

た。あまり見慣れないものなので、「金光様、これは何

でしょうか」とお伺いすると、「カギを作るものじゃ」

とのことでした。それは、鍵を作るための鋳型のような

ものでした。

 夢の中でのことですが、金光様があんなに笑われるの

を見たのは初めてです。そしてその笑いの原因となった

ものが「クジ」だったということはどういうことなのか

と思います。多分クジが当たるのを当てにする信心をす

るなということでしょう。

 また、カギそのものでなくて、カギを作る道具を下さ

るというのは、おかげの玉手箱のカギは自分で作りなさ

いということでしょう。

 正月を前にすばらしい夢を見せて頂きました。   

   

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キーレスエントリー(11月9日(水))

 先日、車のキーレスエントリー(リモコンでドアロッ

クの開け閉めが出来る機械、以下「キーレス」)が壊れ

てしまいました。少し前から、どうもきちんと開け閉め

が出来ないなと思っていたのですが、ある日突然ウンと

もスンともいわなくなってしまったのです。今の車はも

う11年乗らせてもらっていますが、その間に電池を一度

も換えたことがありませんでした。これは電池に違いな

いと思い、電池を新しく入れ替えました。これで大丈夫

と思ったのですが、予想に反しまったく反応してくれま

せん。  ちょっとあせってしまい、夜7時過ぎだった

のですがディーラーに電話をしてしまいました。遅い時

間にも関わらず、幸い電話がつながって、問い合わせを

しましたが、「電池を換えて動かないのならそれは故障

でしょう。取り替えると、送信機だけでも1万5千円く

らいしますよ」とのことでした。  

壊れたキーレスのリモコン

「ありがとう。考えるわ」と電話を切りましたが、今

の車は11年経っているので、下取りに出しても1万円く

らいの値打ちしかありません。もしかしたら0円かもし

れません。それ以上に、処分料としてお金を出さねばな

らないかも知れません。しかし、大切に乗っているし、

車庫に保管しているため、全体にとても綺麗でエンジン

も快調です。ところどころ傷みは隠せませんが、タダに

近い値段ではとても手放す気にはなれません。人によっ

ては、まだこんな車に乗っているのと言う人もいますが、

もったいないという気持ちでいっぱいです。

      ○       

 当初、この車にはキーレスは付いていませんでした。

しかし、8人乗りのワゴン車ですから車体が大きく、

キーレスがないと不便過ぎるというので、買って直ぐに

注文で付けてもらったという経緯がありました。それが

使えなくなったのですから、致命的な不便さを感じずに

はいられませんでした。

教会の車

 私が車を運転するようになった時は、キーレスなどそ

んな機能はどんな高級車にも付いていなかったと思いま

す。車の一つ一つのドアロックは、一つ一つキーで開け

閉めしていました。それが、何時からか運転席のドアロ

ックをキーで開けると全部のドアロックの開け閉めでき

る機能がつくようになりました。それからリモコンでド

アロックの開け閉めができるようになったのがキーレス

エントリーです。今では、小さなカードのような物を持

っているだけでドアロックが開け閉めできるし、その

カードを持っていればキーなしでスイッチを押すとエン

ジンがかかるようになっている車もあります。それが、

高級車でもなく、ごく普通の車、軽自動車にでもついて

います。本当に便利になってきています。

 正直なところは新しいピカピカの新車が欲しいところ

です。しかし、今の車を手放すのは本当にもったいない。

それで、いろいろ考えた結果、不便だけれどもこのまま

でいいかなと思っていました。

      ○      

 そんな時、もしやと思い、インターネットで「キーレ

スエントリー」と検索をかけて調べてみました。そうし

たら、キーレスエントリーの機械が何と2〜3千円から

あることが分かりました。           

「あるじゃないか、これこれ・・・これでいい」   

と、値段の高いのもありましたが、他のものもいろいろ

調べ、4千5百円の機械を注文しました。      

 自分で取り付けしなければならないというのが一番の

ネックでしたが、「詳しい図面付き」と説明にあったし、

前にETCの機械も付けたことがあったので何とかなる

だろうという気でした。 

 さて、機械が届きましたが、一緒に送られた図面を見

て「エッ」と思いました。さっぱり分かりません。ET

Cの時は至れり尽くせりの本当に詳しい図面があったの

ですが、今回は簡単な配線図だけです。私は絵とか写真

とかで取り付け方を書いた図面を想像していたのですが、

そんな図面はどこにもありません。ちょっと予想外とい

うか、騙されたような気分でした。安いという事はこう

いうことなんですね。

 困りました。でも、これを買うとき、「金光様、天地

金乃神様、この機械を買わせて頂きますので間違いのあ

りませんよう、きちんと取り付けができますよう、きち

んと作動しますよう、よろしくお願いします」としっか

りお願いして買わせていただいたものです。「願う氏子

におかげを授け」て下さる神様です。そうしたら、取り

付けできないような物を買わすようなことはなさらない。

物を大切に使うということは大変なんだということを教

えて下さろうとしているのだ。「よし、おかげ頂こう」

という気になりました。

ぜったい大丈夫、神様が保証していてくださると確信

し、御用の合間を見ながら作業を始めました。    

 機械は2つに分かれており、一つは開け閉めのスイッ

チのある送信機(リモコン)で、一つは車の中に付いて

いてドアロックを開け閉めする動作をする受信機です。

問題はこの受信機をどうやって取り付けるかです。教会

の車にはすでにキーレスが付いていたのですから、どこ

かに受信機があるはずです。ですから、古い壊れたのを

新しいのと交換すればいいということになります。

運転席周り

 しかし、その受信機がどこにあるのか皆目検討がつき

ません。初め、運転席のドアの内張の中にあるのではな

いかと思っていたのですが、見当違いだったようで、ど

うも運転席の周りにあるということが分かってきました。

そしてまずダッシュボードの中が見えるように、ダッシ

ュボードを外してみようということになりました。  

この外し方がまた難しい。幸い、教会の車は親切な人

が「エスティマの壊し方」というホームページを作って

くれていて、それを印刷して参考にして見ながらいろい

ろの部品を外してみました。          

部品は外せましたが、今度はどこに何があるか皆目検

討がつきません。眺めてみるのですが何がどうなってい

るか全然わかりません。         

ハンドルの下(1)

ハンドルの下(2)

 しかし、配線の図面を見、実際の配線を見、そのこと

を何度も繰り返している内に、本当のところ何が分から

ないのかということが分かってきました。分からないこ

とが分かって初めて調べるということができるのです。

調べることが出来れば答えは出てくるものです。   

インターネットで集められる資料は全部集め、資料の

理解も頭のなかではほぼ完璧に出来ていました。しかし

ながら、資料の配線と実際の配線が違うのです。勉強し

たことが実際とは違うという状況です。どうしたらいい

のか本当に分からない状況になりました。ここさえ分か

れば何とかなるのではないかという所まで来ているので

すが、しかしその先は素人ではどうにもならないように

思えました。 

 「先生」というのはこういうときに必要なのだなと思

いました。

 ディーラーに行ったら本当に詳しい配線図があること

が分かっています。最初に一度問い合わせをしているの

で、今回のことでは余り行きたくなかったのですが、ど

うしてもディーラーに行かないとここから先に進めそう

にありません。

 じっと心を鎮めて考え、「できる道は付けてあるぞ。

自分の恥ずかしいという心を中心に考えてはいかんぞ」

と心に思わせていただきました。そして、道を付けてく

ださっているのだということが自覚された時、行きたく

ないというそれまでの私の気持ちより、分からないとこ

ろをハッキリさせ、早く仕上げたいという気持ちの方が

強くなってきました。その気持ちのまま、何の躊躇する

こともなくディーラーに行くことが出来ました。

接続完了

 しかし、車を売ったり修理することをしている所へ、

修理の仕方を教えてくれと言いに行っているようなもの

ですから、正直なところ、ちょっと恥ずかしかったです。

 配線図を見せてくれという客はめったにいないのでし

ょう。最初は怪訝な顔をされましたが、きちんと見せて

くれ、コピーも取ってくれました。   

      ○

 自動車の配線は本当に複雑で、何でこんなにたくさん

の線が要るのかと何度も思いました。        

 それを良く見て、何度も良く見て、図面を確かめて、

しっかり確かめて、結局私が一番に戸惑ったのは、白、

黒、黄、青、緑、青に黄色線、青に黒色線、黒に赤線な

どなど、たくさんある線の色が、あるコネクター(多く

の線を接続するコンセント)

を境に他の色に変わっていたためだということが分かり

ました。         

 これだと検討を付けた線に、試験的に機械と線を繋い

でみましたが、見事に成功し、一安心でした。それから、

正式に線を接続し、これでよしとスイッチを入り切りし

たら、「開く」のボタンで閉まり、「閉まる」のボタン

で開いてしまいました。あれほど確認したのに、最後の

最後で線のつなぎ間違いをしたようです。      

 もう一度接続しなおそうかと思いましたが、開け閉め

できたらいいじゃないかと止めました。また、開けたり

閉めたりする度に、ウインカーが点滅できるようにもな

っていましたが、以前のキーレスにも付いていませんで

したのでその接続も止めました。  

      ○

 今とても快調です。以前と同じようにドアロックの開

け閉めがリモコンで出来るようになり、一時の不便さは

解消されました。           

 今回のことで私は三つのことを学びました。    

 一つは、私たちが普段、便利に動かしたり使ったりし

ている物は、表面には見えませんがすごく複雑な仕組み

の上に成り立っているのだということです。1台の車が

この複雑さなのだから、私たちが住むこの天地はどれだ

け複雑な仕組みを持っているのかと思います。    

  二つは、自分ですることは出来たが、自分でするとい

うことは大変で、教えてくれる人の存在無しには出来る

ものではないということが分かりました。 

「何一つ世話にならねばなし得ざる 賜びしいのちの一

つなるわれ」

とある、四代教主のお歌を実感しました。

 三つには、自分では出来ないと途中で諦めていたかも

しれないところ、購入する時に神様にお願いして買った

ということ、お願いして買ったら最後まで神様が面倒を

見て下さるということを確信しました。


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生神金光大神大祭(11月3日(木))

当日の教会長の講話

講題「まことの信心を求めてきて」

教話20111103

祭典後の講話


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御本部 生神金光大神大祭

 10月1日〜2日に御本部の生神金光大神大祭に団体参

拝させて頂きました。

 私たちはちょうど15時、一番理想的な時間に御本部に

到着させてもらいました。私は教主金光様が15時15分ま

でお結界にお座りになっているので、それに間に合うよ

うに、一足先に急いでお広前へ行かせて頂きました。き

ちんとお届けもでき、お広前の前の方に座り、予定通り、

15時40分からの教主金光様のご祈念、また16時からの本

部広前の夕方の勢祈念を教会参拝者と共にさせて頂きま

した。

 その時とても気になることがありました。それは、15

時40分からの教主金光様ご祈念は、教主が神前のご祈念

座に座り、拍手を打たれると同時に神前と広前の間にあ

る大きな板戸が閉じられます。板戸の向こうでは教主が

世界平和のこと、教団のこと、全教信奉者のことなどな

どをご祈念してくださっているので、私たちはそのご祈

念を一緒にさせて頂きます。しかし、その教主のご祈念

の姿は板戸にさえぎられて見えません。それで、参拝者

の中には大きな音を立てて拍手をして自分だけのお参り

をする人があったり、お神酒を結界柵のところに置きに

行くのにガサガサと耳障りな音を立てる人もいたりで、

とても教主が全教のご祈念をしてくださっている広前の

雰囲気ではありません。

 それに比べると、朝は、教主が3時45分にご自宅から

会堂にお出ましになり、神前に進まれ、4時の時報と同

時にご祈念に入られます。その教主の拍手に合わせて広

前参拝者が共に拍手をし、板戸がガラガラガラと開けら

れます。拍手を打った後は参拝者皆が教主のご祈念に合

わせて一心の祈りを捧げています。広前中、物音一つし

ない、それは荘厳で心打たれる光景です。

 私は、今までは、朝は朝、夕方は夕方、違って当たり

前と思っていたのですが、この度は、同じ教主のご祈念

なのにこの違いは何なのだろうと思われて仕方がありま

せんでした。そして、その理由として考えついたのが

「板戸が開いているか閉まっているか」ではないかとい

うことでした。つまり、教主のご祈念する姿が見えてい

るかいないかです。

 朝は板戸が開いているので教主が何をされているのか

が一目瞭然です。しかし、夕方は教主の拍手と同時に板

戸が閉まりますから、知らない人はあの板戸の向こうで

何が行なわれているか分からないのです。もし朝と同じ

ように夕方も板戸が開いていたなら、全く違ったお広前

の雰囲気になっていることと思います。多くの人は、教

主がお結界から下がられ、16時の勢祈念までの間は、何

もない空白の時間のように思っているのではないでしょ

うか。それまではまばらだった参拝者が、16時からの勢

祈念にはたくさん集まってくるのです。いかに夕方の教

主のご祈念を知らない人が多いかということを残念に思

います。

 見えているものだけを見る人と、見えていないものを

見る人の違いを考えさせられました。信心するというこ

とは、見えないものを見ていくことではないでしょうか。

 しかし、知らない人は知らない人として、失礼な振る

舞いとして制止したり非難することをしない本部広前の

あり方は、神様のお心そのものかとも思われてなりませ

ん。

バス

良寛荘での夕食

祭典後の吉備舞


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指の怪我

@切り傷、擦り傷は砂や異物を除去するために、まず水

で傷口を洗うこと。        

A消毒は、傷を早く治そうとする菌や細胞に損傷を与え

るのでしない方がよいということ。 

B傷口から出てくる液は傷を治そうとする細胞を元気に

する働きがあるので、傷口を乾燥させないようラップで

覆って湿った状態を保つ方がよいということ。

 前回書かせて頂きましたが、以上のことを知って本当

にびっくりしました。このことを知っていたのは、私の

まわりでは一人だけでした。ほとんどの人は、本当かし

らと首をかしげていました。

 その後の経過を報告します。私の小指の切り傷は10日

あまりできれいに治りました。

 傷口を朝晩二回水道水できれいに洗い、指先用の救急

絆創膏に抗生物質入りの軟膏を塗って傷口を覆い、その

上から小指をラップで包み、セロテープで端を止めまし

た。一週間でラップも救急絆創膏も必要なくなり、10日

目で傷を気にせずにいられるようになりました。

 消毒は一度もしませんでした。途中一日だけラップで

覆うだけで過ごしましたが、傷口が浸出液だらけとなり、

これはいい液だと分かっているのですが心配になり、再

度抗生剤入りの軟膏を付けた救急絆創膏を貼りました。

傷口が深かったこともありますが、ラップだけではやは

り心配心が出てきました。

 傷口を乾燥させないようにラップをしていましたが、

乾かさない方がやはり治りが早いように思いました。そ

して、オヤッと思ったのは、かゆみが無かったことです。

今までだと、傷が治る途中にかゆみが出てしかたなかっ

たと思うのですが、それがありませんでした。

 そして、ラップを巻いているとラップがクッションに

なって傷口を保護してくれるので、何かに少々当たって

も痛くありません。また、少しぐらいの水濡れは大丈夫

でした。

 その他、小指の怪我の場合、手を洗う時、手を併せて

親指が下に来るように逆にするとけっこう洗えるという

ことを発見しました。

 怪我の功名というのでしょうか、多くのことを学ばせ

てもらいました。その第一は、私達に何か事があったら、

その解決に向けて一生懸命になってくれる天地の働きが

確かにあるということをしっかり分からされたことです。

第二は、事の解決の方法を気づかせてやろう、教えてや

ろうという働きのあることもきっちりと気づかせてもら

いました。

 私たちは、常識ということでその働きを無視したり、

知らずに過ごしたりしています。その働きは、天地金乃

神様の働きに他なりません。

 教会では、玉水教会が布教百年に向けて掲げられた

「まことの信心、まことのおかげ」を我が教会の信心の大

目標とさせてもらっています。神様は、それに向けて少

しづつ教えてくださっているのだと思います。今までは

教えてくださっていて気づけなかったことが少し分かる

よう

になったかなと思っています。

 すべてが私を「まことの信心、まことのおかげ」へと向

けて、成長させるが為のことと深く思えるようになりま

した。ここからが楽しみです。

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常識と真理

 その日は10時から宅祭があり、時間が来るまでと庭の

掃除をしていました。一段落してもう少し時間があった

ので、前々から気になっていた植木の剪定を始めました。

 いつもだったら、作業の時は革手袋をはめるのですが、

ちょっとの事だからと素手で剪定ハサミを持ち、チョキ

チョキしていたところ、右手の小指を切ってしまいまし

た。

 少し深く切ったようで、血が直ぐに止まりません。と

っさに指を口の中に入れ、舌で傷口を押さえ、早く血が

止まりますようにと神様に祈る他ありませんでした。

 しばらくして、少し出血が少なくなってきたようだっ

たので、水道水で傷口を洗い、御神酒を傷口にかけ、

ガーゼを当て、包帯のような貼れるテープをぐるぐる巻

きにしました。

 この後、白い装束を着て宅祭をしなければなりません

が、血が装束に付かないだろうか、痛みで拍手が打てる

だろうかと心配心が出てきました。

 しかし、すぐに病院へ行かなければならないほどでも

ない事を喜び、宅祭を都合よく仕えさせて頂けるよう神

様にお願いしていくのが私達の信心の行き方です。お広

前へ行き、心中祈念をいたしました。

 装束を付ける直前にもまだ血が止まっていないようだ

ったので、さらに上からガーゼを当て、包帯状のテープ

を巻きました。

 ありがたいことに祭典中は出血も痛みもなく、無事終

わる事が出来ました。しかし、着替えが終わって何かを

触った拍子にすごい痛みがあり、またジワジワと包帯が

赤くなってきたので出血したようでした。

 とにかく、宅祭が無事に終えられたことは何よりでし

た。神様のお計らいと感謝し、軽はずみな行動が招いた

失敗をお詫び申し上げずにはいられませんでした。

          ○

 さて、その後お医者さんに診てもらったほうがいいよ

と家族に言われましたが、血も止まっているようだし、

痛みもあまりなく、日曜日ということもあって気が進み

ませんでした。

 買い物に出た家族に消毒液と抗生剤の薬を頼みました

が、いい薬はあるかなと気軽な気持ちでインターネット

で「切り傷治療法」と検索をかけたところ、出てきた

ページの内容にはびっくりしました。

 まず消毒はするなということ。傷をしたら消毒すると

いうのが常識と思っていましたから、消毒すると却って

治りが遅くなるということに本当にびっくりしました。

 次に傷口を乾燥させないようにラップで覆うというこ

と。これも今までは、傷口がふさいだら乾燥させ、かさ

ぶたが出来てそれが取れたら完治、という思いがありま

した。しかし、口の中の傷の治りが早いのと同じで、傷

口は乾燥させない方が早く治るとの事でした。

 私はすごいショックでした。常識と真理の違いという

のでしょうか。今まで常識として信じていたことが、時

代が進むに連れて本当でなかったことが分かり、真理が

明らかになるとでも言ったらいいのでしょうか。

 教祖が、生活全般の上に日柄方角を見ることが常識だ

った時代に、日柄方角を見ることはしなくてもよいと言

われたこととオーバーラップしてくるように感じました。

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5月10日の御本部月例祭の時のことです。

祭典が終わってさあ帰らせてもらおうと立ち上がり、歩

き始めるが何か忘れ物があるような気がしてなりません。

何か忘れ物は・・・と手元を確認すると傘がないことに

気づきました。どこに忘れたのか、一生懸命考えてみる

て、会堂地下のトイレしかないように思いました。外は

雨が結構降っているので傘無しではちょっと歩けません。

あるかないか・・・、あってください・・・とトイレを

覗いたら、ありました、ありがたかった、金光様、天地

の神様、本当にありがとうございました。

雨の中、傘をさして歩きながら、しっかり傘にもお礼

を申すことができました。普段は普段でお礼を申して使

わせてもらっていますが、この度は心の底からしっかり

お礼申して使わせてもらいました。

私たちはいつもたくさんの物のお世話になってしか生

活や仕事ができません。前の教主金光様は、

「世話になるものみなに礼をいふこころ

道のみむねとかしこみ思ふ」

「世話になるすべてに礼をいふこころ

  そのまま神ををろがむこころ」

「世話になるすべてに禮をいふこころ

 神を現はし神になるこころ」

「世話になるすべてに礼をいふこころ

 神にし向うこころなりけり」

と歌っておられます。他にも「世話になるすべてに礼

を・・・」と歌われたものがたくさんありますが、今回

の傘のことで、改めてすべてを大切にしていかねばなら

ない心を教えて頂きました。

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神様ご主人、私奉公人

 1月末頃、朝御祈念の時間が来るのを待っていた時、

二代教会長が心の中に出てきて、「もうお前に任せてお

けん。今日からワシが先唱する」と怒った声で言ってき

た。私は自分の至らなさは承知しているところだから、

「わかりました。どうぞお願いします。」とお答えした。

 そしてその後ちょっと考えて、「そうしましたらお結

界はどうしますか」とお伺いした。そうしたら、「お結

界もワシが座る」とのことだった。

その時から、ご祈念の時は先唱の座を空け、私はその

後ろに座ることにした。二代の先生が先唱される補助を

させてもらう思いでご祈念を唱えている。またお結界に

は極力座らないようにし、お届けのある時だけ「ちょっ

とごめんくださいませ」とお断りして座らせてもらうこ

とにしている。

変なことを始めたなと思っている人もいるようだが、

私はそうするようになってからとても気が楽になった。

自分がいろんなことの責任を負わなくてすむのだという

ような気分である。そして、「神様ご主人、私奉公人」

と玉水初代大先生に教えて頂いているが、言葉だけでな

くて形の上で実践させて頂いている思いにもなっている。

さて、そのようなことを続ける中、 3月13日、春季霊

祭に併せて、当教会初代教会長の60年祭をお仕えした。

その頃から、初代の年祭をさせてもらい、初代に対する

思いが強くなったせいでもあると考えられるが、ご祈念

の時、先唱の座に初代教会長と二代教会長が、一つの椅

子にお二人が並んだり重なったりして座っているように

思えてきた。一人用の椅子にお二人が半分ずつ腰をかけ

たり、実体の無いお二人なので重なり合ったりして見え

るのである。私は、ハァーという感じでその見えない光

景を見て、ハッとした。二代だけでなくて、初代の先生

もいっしょになって先唱してくださっているのだ。

そうだとしたら、これまで私が先唱の座にすわっている

時も、初代と二代が私と並んだり、私に重なったりして

共にご祈念していてくださったということになる。今ま

では感じないでいたが、そうであったに違いない。

「神様ご主人、私奉公人」ということ、そして、歴代

の教会長が一緒に御用してくださっているということが、

座る場所を変えることによって見えるようになった。1

月末の出来事は、前の教会長がこの事を知らせたいがた

めのことだったのかと思えてならない。

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掲示板の日めくり

教会の正面に掲示板があります。そこに「今月の言葉」

を模造紙に大きく書いたものを貼り、そして大きめの

「日めくり」を掛けています。

 今までの日めくりが古くなってきたので、新年から新

しいものにしたいと考え、絵が入っていて子ども達にも

人気のある玉水布教100年祭で頂いた、CDケース版

の卓上日めくりが何とかならないものかと考え、B4の

ケント紙に拡大カラーコピーしたら、素晴らしいものが

出来ました。

掲示板

日めくり

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バックナンバー

年末年始(2010年〜2011年)

平成23年上半期信心実践目標(1月〜6月)

10月22日 奉読本のこと

10月11日 金のなる木

10月2日、3日 生神金光大神大祭 調饌御用

7月28日 教会の小さな畑

7月24日 イスで信心の稽古

7月24日 花の鉢植え

7月12日 近代化産業遺産

7月11日 植木の剪定

7月1日 教会の小さな畑の実り

6月13日 御本部教団独立記念祭 参拝時の出来事

5月17日 ランの花

5月14日 肥料不足

5月10日 神前のアマリリス

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