特別寄稿のページ
〜宮城県被災地訪問記〜
寄稿者:samu
私は7月29日から30日にかけて、宮城県に一人で行
ってきました。インターネット上のある掲示板で、被災
者の方の声として「もし事情が許すのであれば、実際に
この様子を見に来てください。感じ方は人それぞれだと
思いますが、必ず何か感じるものがあると思います」と
いう書き込みを読み、実際に見てこようと思い立った訳
です。
夜行バスで仙台駅に到着後、予約したレンタカーを借り
て、まず、仙台空港方面に向かいました。仙台空港はち
ょうど数日前に通常運用が再開されていました。しかし、
周りは多くの瓦礫が積みあがっています。周囲の家々も
大きな被害がでているのが一目瞭然です。そのまま海岸
沿いに15分ほど北上すると、特養ホームらしき建物が
ありましたので、近くに車を止め、写真を撮らせていた
だきました。


1階部分の窓ガラスはすべて割れてしまっています。居
室のカーテンがそのままになっていますが、施設内には
誰もいません。施設ごと避難された様子です。写真から
は、津波が1階と2階の中間まできたことがよく分かり
ます。この辺りで、海岸から1.5キロ位です。
それから、仙台市の少し北にある東松島市で、私の知人
のご両親が行方不明になっていましたので、そこへ行か
せていただきました。
前日まで雨が降っていましたが、道路が冠水しています。
地盤沈下によるものでしょうか?
排水の問題でしょうか?

私は、阪神大震災の時も、被災地に行った事があるので
すが、その時は、地震で建物が壊れてしまったというこ
とがすぐに理解が出来ました。しかし、今回は、一体こ
の場所で何があったのか、頭の中が混乱してしまいまし
た。
そして、被害が大きかったとよく報道された南三陸町に
向かいました。
テレビなどで、空爆された町のようだとよく聞きました
が、まさにそうです。太平洋戦争の時の、空襲を受けて
焼野原になってしまった町の写真を思いました。

写真では見えないですが、瓦礫の中に、男性の靴が片方
だけありました。
靴の持主は、無事だったのでしょうか?

多くの被害が生じている中で、瓦礫処理をされている工
事関係の方、捜索を続けている警察官、自衛隊員の方、
ボランティアの方など頑張っておられる方々と出会いま
した。三重県警察のパトカーとも出会いましたし、西宮
市のゴミ収集車3台とも出会いました。阪神大震災の時
にお世話になったからということでしょう。


マスコミでよく「つながる」「絆」ということを聞きま
す。正直に言って、被災地に行くまでは、その意味が実
感できませんでしたが、実際に見聞きすると、強く感じ
ることができました。被災地においても、ガソリンスタ
ンドが機械を入れ替えて、瓦礫の中で営業をしていたり、
コンビニが仮店舗で営業していたりしていました。
「一歩ずつ前へ」という言葉を現地のラジオでよく聞き
ましたが、まさにその通りです。
- samuさんについては、「老いるショックから老いる
プラスへ」参照