「議論」は正しい判断をするための人類の知恵である。それが機能するには、正確な情報が共有され、議論の場が与えられ、論理的な意見の交換がなされる必要がある。 自衛隊のイラク派遣問題は、どれひとつ要件をみたしていない。 すべてが小泉首相の論理で展開している。その展開が正しければ救われるが、そうではない。「テロに屈してはならない」ことはおそらく正論だが、この国をテロに巻き込んだのは、憲法の精神を無視した彼のアメリカ支持の判断である。 【問題のすり替えにご用心】 友人の運転で一旦停止義務違反で捕まった。飲酒運転の取締強化以来、取締が全般的に厳しくなっているということは耳にしていた。しかし、実際に捕まってみると、何を今更と思ってしまうのが、庶民の偽らざる心境である。 罰則には、犯した罪が割りのあわないことだと知る事で再発を防止する目的がある。その意味では、今回は見逃しておくというわけにはいかない。 しかし、交通量の少ない場所で違反者を待ち伏せることが、取締のやり方としてまかり通るのも、何か寂しい気がする。交通事故を未然に防ぐという目的から取締が目的にすり替えられたような矛盾を感じてしまう。 この国では、本来の目的がいつの間にか脇にやられ、手段が目的化してしまっている事が多い。小泉内閣の旗印である郵政の民営化は、多くの反対を受け、いつの間にかそれ自体が目的に化している。自衛隊のイラク派遣も、小泉内閣のやり方には同じような印象が否めない。 目的を達成するためにもっと他の策はないのか、という視点がこの国の指導者にはない。目的の正当性で手段を正当化しようとする稚拙な手口には十分気をつけたいものだ。 (2004・2・10) 【常任理入りに適した国か?】 小泉首相が国連総会特別首脳会議で演説し、国連安保理改革を訴え、同時に日本の常任理事国入りに理解と協力を求めた。 しかし、国民にすらアメリカの言いなりとしか思えない国が、利害の複雑に絡み合う国際社会で「自立した国」と認められているとは思えない。 本来、日本は憲法で「国家の名誉」にかけて平和主義を掲げ、国連のような国際機関に自国の安全を託している。 この国の指導者たちが、小泉劇場の観客はごまかせても、国際社会はそれほど甘くないことを思い知る良い機会だ。憲法の原点に戻って、この国のあり方を問い直すべきだ。
(2005・9・21 朝日新聞「声」) |