20、海外雄飛の近江商人
問題20; 近江八幡商人には「ふとんの西川」(西川産業)の西川甚五郎氏や、北海道の場所請負で蝦夷開発に貢献した恵比寿屋岡田弥三右門氏などが有名ですが、遠く海外ベトナムまで商売に行き、結果、徳川幕府の鎖国により、ついに日本に帰れなかった近江八幡商人の名前はだれですか。屋号でもOKとします。
@ 角倉了以 A茶屋四朗次郎 B中井源左衛門 C西村太郎衛門 D下村彦右衛門 □
解答・・・・・4
<解説>
北海道松前町とは八幡商人の場所請負制に関わって姉妹都市提携を結んでいます。江戸時代に近江商人が蝦夷地・松前藩への知行地に商場・場所請負で進出する時期になると、アイヌと和人との衝突もおおくなり、「アイヌ勘定」という侮辱的な言葉も生まれています。不平等な交易独占に対して起こるべくして、蝦夷地ではアイヌの和人に対する反乱がおこりました。江戸時代にアイヌ三大蜂起といわれる@クナシリ・メソナの戦い Aコシャマインの戦い Bシャクシャインの戦い が起こっています。またもっと昔、奈良の聖武天皇の時代には坂上田村麻呂が活躍したアテルイの反乱が東北地方で起こっていますが、そのドラマがテレビでやっていましたが、大和政権の傲慢さに腹が立ちました。それらの理不尽な行為は形を変えて今も続いているのでは・・・と危惧します。さて、問題のベトナムにまで行った商人は西村太郎衛門で安南屋といいます。日牟礼八幡宮に奉納したと言われる絵馬が掛けられています。ベトナムでの日本人町はフエにあったと言われます。西村太郎衛門の屋敷があったことまでは確認できていません。おそらく、鎖国により供給が断たれたため、日本人町は現地と同化していったのではないでしょうか。スペインには今も遣欧使節の日本人の末裔と言われる人が住んでいるというニュースを聞きました。おそらくベトナムやタイなどの国々の日本人町の人々も形を変えて末裔はいるのではないでしょうか。タイ国アユタヤで活躍した武将の山田長政は有名ですが・・・・また恵比寿屋岡田弥三右門氏は場所請負により登別温泉を発見した功労者として現地の歴史に登場していますし、西川貞二郎氏はカニ缶工場を近江八幡に先駆的に造っています。また近江八幡の左義長まつりの山車の飾りに北海道の海産物が使われていたりするのもその名残だと言われます。