近江八幡をよく知っていただくための、WEB上での公開歴史検定の問題と解説です。腕試しにまずは、解答を見ずにやってください。その後で解答と解説をご覧ください。
*解答欄は@〜Dの5問から1個だけ解答番号を解答欄□に書く。出題はアトランダムでジャンル別に整理できていません。
【歴史検定】
1、近江八幡市民もよく知らない「安義橋の鬼」のこと
問題1;鬼退治の源流とされる「今昔物語巻第二十七」 本朝付霊鬼「近江國●橋鬼喰人語第十三」に出てくる鬼が出る橋はどこに架かっている橋ですか。市内にあります。1984年にはその橋に出没するという鬼を退治に出かけた侍たちを描いたもので「今昔物語」の「○橋の鬼女」を映画化した「○○・鬼神の怒り」という中村久美、伊武雅刀などが出演している映画が造られています。若干ストーリーは羅城門の鬼に似ているが、こちらが源流です。ご存知ですか。
@ 竜王橋 A岩倉橋 B安吉橋 C日野川橋 D弓削橋
解答・・・3 (倉橋部から竜王へ行く所の日野川に架かる橋・・・安吉橋)
<解説>
「今昔物語集」の卷27第13には、安義(吉)の鬼の話が出てきます。「鬼が出るという安義橋へ駿馬に乗って行った男が、女に化けた鬼に会い、追われたものの逃げ帰る。その後、弟に化けて家にやってきた鬼を入れてしまって男は鬼に喰い殺されてしまう。」という物語である。この今昔物語に出てくる安義橋の鬼こそ、現在、馬淵学区にある安吉橋のことです。学生時代に今昔物語の中にこの鬼の話があって、まさか地元のことが記されていたなんて、とっても感動しました。この安義の鬼は、全国的にも羅城門の鬼と同じぐらい有名な鬼なのであります。映画にもなったことがあり、現在ではビデオ化されており、レンタルビデオ屋でも手軽に借りられます。関心のある方は、一度ご覧下さい。いまや鬼はマイナーな存在ではありません。大江町では酒呑童子を、岡山では桃太郎伝説と温羅(うら)の鬼伝説を、また茨木童子(羅城門の鬼の名)を中心とした町おこしが全国的にも有名ですが、本市の安義の鬼も、他の鬼説話と匹敵するぐらいの鬼なのです。全国的にも誇ってもいいと考えます。
「今昔物語集」は『今昔物語』と略称されることもあるが、本来は「集」が付く。「今昔物語集」の成立年代と作者は不明であるが、日本だけでなく中国・インドの三国の約1000余りの説話が三部(天竺部、震旦部、本朝部)で構成され収録されている。各部では先ず因果応報譚などの仏教説話が紹介され、そのあとに諸々の物話が続く体裁をとっている。『今昔物語集』という名前は、各説話の全てが「今ハ昔」という書き出しから始まっている事から由来している。巻1から巻20までは、仏教に関する説話で、釈迦や菩薩、法華経などの譚で構成されており、巻21から巻31は本朝世俗部であり、芸能や怪異譚、動物、恋愛、歌物語などが盛り込まれている。そのうちの巻27 本朝付霊鬼(変化・怪異譚)に、今回の「安吉(義)橋の鬼」の話が入っている。作者は、誰が書いたか編纂したか分からないが、年代的には白河法王〜鳥羽法皇の院政時代に成立したものではないかと推察されている。「今昔物語集」の話はすべて創作ではなく、他の文献(例えば竹取物語、日本霊異記)の引き写しもあると考えられているが、本朝世俗部の話には典拠の明らかでない説話も多く含まれるため、伝聞に基づき構成されたものもあったかもしれない。後世の説話文学の代表といわれる「宇治拾遺物語」にも影響を与えたとされる。また、「今昔物語集」から題材をとった、芥川龍之介の「羅城門」「鼻」は有名である。「今昔物語集」の特徴としては、よく似た物話を二篇(ときには三篇)続けて紹介する「二話一類様式」があげられるため、今回の「安義橋の鬼」も芥川龍之介の「羅城門」とよく似たストーリとなっている。現在、竜王町字庄と近江八幡市倉橋部町の間の日野川に架かる橋は「安吉橋」と呼ばれ、「あんきちばし」と呼ぶ人もいるが、正規は「あぎばし」である。近江八幡市倉橋部町には「安吉」という姓の家があり「あぎ」と読むそうであるからして「あぎばし」が正解であろう。
今は昔のこと・・で始まる「今昔物語」(平安時代末期に作られた説話文学)に近江八幡市のことが載っているのを見つけたのは、私が大学一年の頃だと記憶している。そのときは、我が故郷にも「今昔物語」に出てくる有名な場所があったのだと感激したものだった。「近江国安義橋」というのは、近江八幡市倉橋部と竜王町に架かる日野川の橋の名前で現在は「安吉(アギ)橋」と書かれている。今でも倉橋部町には、私の妻の恩師で今は民生委員をされている安吉(アギ)○○氏という方がお住まいになっている。あるとき妻と安吉先生の話になったとき冗談で「鬼の子孫かもしれんで」といったら大層怒られた。そのときまで妻は「今昔物語の安義橋の鬼」の話を全然知らなかったらしい。妻は竜王町の林(安義橋から二つ目の在所)の出であるにも係わらずにである。またこのことは市役所に入ってから周辺の職員に尋ねても、全然しらなかった。それで「こりゃダメだ」と職員には何も期待もせずに、その話はもうあきらめてしばらくせずにいた。ところが、あるとき市史編纂室の亀岡氏となんの話か忘れたがしていたら(おそらく馬渕の奇面踊りのことからだと思う)、安義橋の鬼の話がでた。さすがに亀岡氏は知っていた。(当然といえば当然であり、知らなかったら市史編纂を担当する資格を疑うところである)そのとき、「安義の鬼」の映画があるのを知ってるか。と再度聞いてみたら、さすがにこれもあることは知っていたが、見たことがないとのことであった。私は、すでにレンタルビデオでこの映画を(偶然だが)見ていたので、少し優越感をもった。亀岡氏も八方手配したが手に入らなかったらしい。私もネット検索をしてみたがアマゾンでも在庫切れで無かった。(私が見たのは「レンタルビデオつたや」が堀上町にあった時で今はなくなっている。後日談だが、VHFのビデオ映画だがアマゾンで入手しました。その後氏が入手したかは定かでない)この映画は、早川光氏の監督・脚本で「アギ・鬼人の怒り」といった題名の1984年作品で、中村久美、伊武雅刀、天本英世などそうそうたる俳優陣が出演している。物語の舞台は近江国安義橋であるが実際は京都府八幡市にある木津川に架かる「流れ橋」をロケ撮影したものである。映画の内容(ストーリー)としては、次のようなものであった。
平安も末期の頃、近江国にある安義の橋に鬼が出没するという噂があり、誰もそこへ行こうとする者はいなかった。近江守の郎党たちは、太郎が美しい妻を持っていることをねたみ、彼をあおり鬼退治に行かざるを得なくする。太郎は馬に乗って安義の橋へ行く。そこで美しい女に姿を変えた鬼に遭遇、馬を殺され、命からがら逃げ帰って来た。床に臥している太郎の所へ、弟が尋ねてくる。しかし、この弟、本当は鬼で、太郎は惨殺されてしまう。近江守は太郎の死を聞くと怒り、郎党たちを鬼退治にさし向ける。太郎の妻は夫の復讐のため、同行を願い出るが断わられて家へもどり、はした女に姿を変えていた鬼にやられてしまう。安義の橋についた郎党たちに鬼がとりつき、彼らは互いに斬り結ぶ。朝がきて、生き残った郎党は一人だけだった。・・・
本当の「安義橋の鬼」の内容を知らない人には、「今昔物語」の口語訳本をお勧めしておく。また、最近は、安部清明の「陰陽師」ブームではあるが、作家の夢枕獏氏の作品にも「安義橋の鬼」のリメイク版ともいうべき作品が収められている本(「七つの怖い扉(新潮文庫)」「ものいふ髑髏」)があるので、お読みいただければ幸いである。私は聞いたことはないが講談でも旭堂小南陵氏が「安義橋の鬼」を語っているということである。
昔は、このあたりは「安吉郷」と呼ばれていたところである。そこで、もう少し、安義(安吉とも書く)のことにふれておきたい。余談ではあるが、近江八幡が大島郷、舟木郷、桐原郷といわれていた当時(和名抄)蒲生郡内の九郷の一つとして安吉郷があり、安吉郷内には倉橋部村、上畑村、弓削村、東川村、西川村、信濃村、須恵村の七村があったという。したがってこれら村内を流れる日野川を安吉川とも呼ばれていた。また舟木郷は琵琶湖の湖上交通において造船や船頭とのかかわりが深い。そのため早くから郡内の主要な港としての機能を有しており、この舟木郷と安吉郷を結ぶ白鳥川は主要な水路であったと考えられる。また陸路についても湖岸道路と中山道(東山道)を結ぶ白鳥街道(白鳥川の水路沿い)は古代から湖東における主要道路であった。その(蒲生郡)政治の中心にこの安吉郷があったと思われる。またその安吉郷内の中心的位置にあったのが倉橋部町であった。滋賀県の遺跡地図でも現倉橋部町には倉橋部遺跡(古墳)、倉橋部廃寺跡(寺院跡)、安吉社古墳群(古墳群)、栗木山古墳群(古墳群)が確認される。しかし、この地が倉橋部という地名を有することから大化の改新以前の部民制に係わりがあったことにも留意する必要があろう。さて安吉郷や安吉(安義)橋の名の元になった安吉氏は何者なのか。これは研究者の間では百済系渡来人であったとされている。大化改新政府が白村江の戦い以降、渡来人を近江国蒲生郡(安吉郷)の開墾に入植させたとある。倉橋部町には「唐畑」「上唐畑」「下唐畑」の地名が残っている。吉士長丹(きしながたに)が安吉郷に食封200戸を得たとの記述もある。いずれにせよ「姓氏録」で見ると、近江の古代豪族「安吉氏」は秦系氏族の系譜につらなるもの(伊香我色男を祖とするともいわれる)とされ、狭狭貴山君(観音寺山)や日触礼臣(日牟礼・八幡山)羽田氏(雪野山古墳)と同時代(7世紀〜8世紀)に活躍したと理解する。(「続後記」に承和七年(840年)九月、安吉郷出身の安吉勝真道が美濃国司に任命されたとある。)いずれにせよ、天智天皇などの蒲生野での狩猟行は安吉氏などの渡来人の勢力を背景に行なわれていたことは想像に難くない。そうした背景があって、「今昔物語」に「安義橋の鬼」が登場するようになったのではなかろうかと推察するものである。
なお、余談だが、同じ『今昔物語集』巻二十八第二話には、公時(坂田金時のこと)、貞道、季武の三人で加茂祭りの見物に出かけ、初めての牛車に三人ともひどく乗りもの酔いをした語が収録されている。源頼光と四天王(坂田金時に、渡辺綱、平貞道、卜部季武の三人を含む)が大江山の酒呑童子を退治に行く話は有名である。坂田金時(金太郎)はよく赤い童形で表されるが山姥が山の上で眠っていた時、夢の中で赤い竜が雷鳴とともに訪れた。目が覚めると身ごもっていて、それが金太郎であった。という生い立ち伝説(山姥の子ども)が残されている人物である。その出身には、諸説あるが滋賀県の坂田郡の出身であったという説が有力である。幼名は金太郎、二十一歳の時、刀鍛冶として働いていたが頼光に見いだされ(坂田郡の金太郎から)、坂田金時と名付けられた。三十六歳のときに酒呑童子退治に加わった、とされている。長浜市では、坂田金時は坂田郡の人であると伝えているが今も長浜市には足柄神社や芦柄神社が何カ所もあり、子ども相撲が今も連綿と行われている。なお、この地域は古代豪族息長氏の本拠地であり、金時はその一族であるという。王の文字はマサカリの象形文字で、腹掛け姿は鍛冶を象徴することから、いち早く鉄文化を手に入れた豪族というものである。なお、今に伝わる「金太郎物語」は、それ自体は江戸時代にできた物語だといわれている。