唐 人 さ ん の 家
(唐人資料館)

http://www.alles.or.jp/~wakebe/
(分 部 町)

県無形民族文化財

八幡神社の祭礼を盛んにするため、藤堂藩2代目高次公が各町に催物を用意させた。
分部町が出したのが、唐人踊り。
1635年以来続いている。
基本的には”津祭りの2日間”のみ披露。

歩き方

敢えて書かせてほしい。
八幡神社の祭礼の踊り、と言う事だから、分部町は八幡神社の近くとばかり思っていた。
地図で幾ら探しても、近くに分部町は無い。分部町は津西部に実在する。(地図で確認する限り)
ある時、地頭領公園で踊りをする、との記事があり、この公園を地図で探した。
場所は東丸之内である。ここでやっと分部町の場所が判った。
”唐人さんの家”の本当の住所は、津市東丸之内19−3だそうだ。
”津市分部町唐人踊り保存会”の名称はチョット気になる。
と言えば、
大門辺りは”昔の町名と今の町名の由来を書いた石塔?が沢山立っている。

訪ねると、この様な事はまだある。しかし、殆どが建物等の名称も載っているので、名称で確認している。
この様な思いは私だけか?

資料館の場所は、センターパレスとデパートの中間くらいを東に行った所。
比較的わかり易い。

写真撮影は2001年6月22日が主体
踊り模写
唐人踊り読本より
唐人踊りは、江戸時代の外交文化使節「朝鮮通信使」の行列を模写したものである。
昔、分部町は商人の町であり、江戸に進出した商人よりもたらしたものと考えられている。

現在の唐人踊りの行列は23人。雅楽の越天楽を基調にした「道ばやし」という局で行進している。

平成3年(1991年)に
”三重県無形民族文化財”
の指定を受けている。

踊り模写
唐人踊り読本より

面の一部

アメリカで「勢州一志郡八幡宮祭礼」と題した絵巻が発見され、唐人行列に対する疑問も出てき、津の唐人行列は朝鮮通信使とは違った起源を持つとも考えられるそうだ。


何と言っても楽しいのは

唐人さんの家では、衣装を着させてもらえる事。
この写真は記念に撮影させてもらったもの。
(モデル 母ちゃん)
小さいけれど面白い資料館である。
今度の秋祭りは踊りの写真をとって紹介したいと思う。

最後に 入場料は300円(中学生以下は無料)


朝鮮通信使について

朝鮮通信使は慶長12年(1607)に始まり、文化8年(1811)迄の約200年間続いた。
その間12回来日し、その都度沿道の大名は荷物の運搬、宿泊等、大変な心配りをした。

津は通信使往来の経路ではないが、藤堂藩はその都度役割や費用の分担をして、かかわってきた。
この様なかかわりから、藤堂藩も分部町の分部町の朝鮮通信使の模写も積極的に奨励した。

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