石垣、石積みで構築された「境目の城」
−鎌刃城 標高384m−

主郭枡型虎口の石段と石垣 大石垣
大手門に位置する枡型虎口 両側切れ落ちまさに鎌刃:南尾根
名称:鎌刃城
所在地:米原市番場
標高:384m
比高:約180m
築城〜廃城:15世紀後半以前〜天正3年(1575年)

探訪日時:2011年7月24日(日)   天候:曇り
コース:番場 殿屋敷からのコース〜主郭〜切通し(往復)

 番場の人たちの努力で整備されている鎌刃城跡。
旧中山道の番場へ鈴鹿山系から南へ延びる尾根上に築かれた戦国時代の典型的な山城といわれる。

【鎌刃城の歴史】

@鎌倉時代に箕浦庄の地頭であった「土肥氏」の居城として築かれたと伝えられるが、土肥氏は番場に残る「殿屋敷」に居城していたと考えられ、鎌刃城はそこから離れた山中にあるため、在地支配の城(仕置きの城)ではなく、軍事目的で築かれた城と考えられる。
Aそして、戦国時代、江南の六角氏と江北の京極氏あるいは浅井氏の境目の城として、国境を警備する目的で、応仁の乱頃には築城されたと。文献上も文明4年(1472年)以降に登場する。
B六角氏方の堀氏が、京極氏方の堀氏が守る鎌刃城を攻めた、その後堀氏が六角氏に降って、再入城したなど…。
C元亀元年(1570年)堀氏は織田信長に降り、翌年5月6日に浅井長政に攻められる。この時、横山城(長浜市)を守備していた木下藤吉郎が応援に駆けつけ、浅井軍を撃退したと「信長公記」には記されているとか。
D姉川の合戦後、天正2年(1574年)堀氏が改易され、翌年城内の米俵2千俵が徳川家康に与えられた後、記録からは消え、廃城になったものとみられる。
   (現地説明版および「近江の山城ベスト50を歩く」中井均編より)

【鎌刃城の概要図】

左上概要図の中で
 @は、城跡最大の「大堀切り」、
 Aは、高さ4m、長さ30mにおよぶ「大石垣」湖北地方最大、
 Bは、大手門に相当する「枡型虎口」で、石垣と石段で構成、
 Cは、5間×5間の「櫓跡」、
 Dは、「主郭」で周囲は石垣で固められ、曲輪内には建物の礎石も、
 Eは、「副郭」で南方には巨大な土塁、
 Fは、幅が極めて狭い尾根上にある7本の「堀切り」、
 Gは、斜面に連続する竪堀群の「畝状竪堀」で、近江では珍しいらしい、
 Hは、尾根上の「切通し」、
 Iは、鎌刃城の水の手と伝えられる「青竜の滝」

【探訪記】

 前回は、MTBを担いで醒ヶ井養鱒場〜松尾山〜清竜山を越えてこの城についたが、あくまで山道ライディングがメインで城を十分に楽しむ予備知識も何もなかった。
 今回は、山城探訪を目的に、番場の集落から鎌刃城を往復した。最短の殿屋敷コースから入り名神をくぐって登ること20分あまりで、城の北端の堀切に着いた。

 大規模な堀切の向こうには大石垣が残っており、これは、石垣上部にあった次の写真右下の北端の曲輪の斜面崩壊を防ぐためのものと考えられている。

城の北方の防御のための主要施設。
最大幅は25m、深さ9mを計測。
上方の曲輪の斜面崩壊を防ぐ大石垣
高さ4m、長さ30mに及ぶ
城北端の曲輪で、周囲には土塁。
柱間6尺5寸の5間×3間以上の礎石建物
検出。半地下式の櫓かと。
瀬戸美濃産の天目茶碗や中国製の
白磁皿、大量の鉄釘が出土。
枡型虎口。5.9m(3間)四方の門の跡。
コの字状に3段の石段もしくは石垣を
配し、内部に礎石建ちの四脚門が建っ
ていたと想定。

 この北端の曲輪からさらに尾根を南に緩やかに登ると、平に削られた長細い曲輪を経て、一段高い主郭へ。
見事な石垣と石段が残っている。 今は草に覆われているが、南面も北面も石積みによって構築されたことがわかり、この城は全体として、石垣や礎石建物が多用された石造りの城と言えるらしい。なお、石垣は裏込めがない石積みというもので、後世の石垣と同一ではない。戦国期城郭の到達点である。(前記「近江の山城ベスト50」より)

 主郭からは一部木々にさえぎられているものの、今でも長浜方面を中心に視界が広がる。当時、中山道に沿ってもっと幅広く、監視できたものと。

主郭の石段と石垣 主郭から西方を望むが、霞んで…

 主郭の北隣の副郭から、畝状竪堀があるという西尾根に行ってみる。トラロープの張られた急斜面を慎重に下ると、広くない尾根が延び、そこには小さな曲輪が続き、堀切がある。目的の畝状竪堀は説明版もなくよくわからんが、おそらくこれらかなと。一応、さらに尾根を下っていけるが曲輪らしきものもなくなり、引き返す。これがしんどい。

 再度、急坂を上って副郭下を廻り込み副郭の大きな土塁の下の堀切へ。

主郭北面:石積みは埋め戻し 西尾根先端の畝状竪堀の一つかな?
西尾根の連続する曲輪 副郭南面の大きな土塁と堀切り
 土塁の石積みは埋め戻されて

 副郭南面の堀切からは尾根は、急に細くなり、両側はキレ落ちている。この尾根上に7つの堀切(南端の切通しを含めると8つ)が設けられている。それらがなくても痩せ尾根で攻撃は大変そうだが、徹底した防御ぶりである。

 巨岩も通行をさえぎる南尾根 南端の切通し

この先には青竜の滝があり、鎌刃城の水の手と伝えられる石樋が残されている。

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