ターミナル島 移民の歴史
写真bP 「ワリザー校長、移民母村である田原村を訪問」
「昭和五年渡日の際、田原尋常高等小学校に於いて、
米国出生児との記念撮影」とある。
  東サンピードル公立学校長ワリザー先生を囲んで、
五才から17才の子ども達35名の名前と年齢が写真の下に記されている。
 田原小学校所蔵



写真bQ 「大鈴(おおりん)」
1929年(昭和4年)に在米田原人会会長の谷下清蔵氏から
田原小学校に贈られたもの。校舎二階につくられた鐘楼に設置され
戦前戦後を通じて村の時報として使われていた。
戦時中に二宮尊徳や楠木正成の銅像は供出されたが、
このアメリカ製の鐘は残されたことからも
村人が大切にしていたことが分かる。
戦後になって「大鈴」は学校文集のタイトルにもなっている。
オハイオ州ヒルズボロウのC. S. Bell Company製造。
太地町歴史資料室学芸員 櫻井敬人(Hayato Sakurai)氏より提供
写真3 「Mr.Charlie Hamasaki」
2012年10月1日 田原山村交流センターにて
ドキュメンタリー映画「古里 失われた島、ターミナル島」上映
太地町公民館主催、串本町公民館田原支館協賛
写真は田原にロサンゼルスより帰省中のチャーリー浜崎氏
日系二世の同氏は、大正11年串本町田原にて生まれ、ターミナル島にて育つ
太地町歴史資料室学芸員 櫻井敬人(Hayato Sakurai)氏より提供