願掛け蝋の木


 伊勢の津市万町南の入り口なる櫻川といふ小溝に沿うて南に入れば、昔は巨刹なりしも、今は小寺となりたる福満寺といふあり。
 数十年の昔この付近に一匹の大なる白犬あり。或る時某家にて魚の紛失しければ、某家の主人大に怒りて、さては彼の白犬めが盗みしならん、いで思ひ知らせんづとて、犬の歯を悉く抜きて放ちけり。犬は痛苦に堪えずして、その後はいたく痩せ衰えたるを、福満寺の和尚深く憐れみ寺に飼いおきて、日々軟らかき食餌を与えければ、犬はいと喜びて柔順に仕えしが、程経て死にければ、和尚はこれを墓地の片隅に葬り、懇ろに回向して、さて言ひけるは、如何に白よ、汝畜生とても恩は知りつらん、日頃はぐくまれしを徳と思はば、何にてもあれ、世の人の為となるよう冥護せよとなり。
 然るに程もなくその墓に蝋の木の生ひ出でしかば、聞き伝へし人々、さては犬の霊なるべしとて、歯痛に悩むものは、塩鰯などを供へて、この木に治癒を祈るに、不思議に効験ありと言い囃し、福満寺の「願掛け蝋の木」とて、人に知らるるに至れり。
 この蝋の木先年までは籬の外に出で、一抱えもある大木なりしが、下水側溝の出来し時、籬の内に執り込まれ、加ふるに老木は枯れて、根より新たに生ひ出でたる若木となりたれば、往来よりは見えず。されど今も尚願を掛くるものありて、老幹の虚ろになりたる中へ塩魚などの供へたるが、日々絶えたることなし。                                 昭和五年発行「よはひ草」より


 福満寺の前の道路の下を櫻川という川が流れています。数年前に暗渠になりましたが、この路を東へ辿って国道23号線に出る南の角に櫻水楼という料亭があります。この料亭の名前も櫻川から付けられたようです。
 福満寺は昔とても大きな寺だったようで、津市史には「稀有の大刹」と記録されています。でも今は何の資料も無くその歴史を辿ることはできません。ご本尊の延命地蔵菩薩は十世紀の作だとか、寺も平安時代から続いているようです。江戸時代に藤堂高虎公が津城を築かれる際、お堀の邪魔になるからと、今の裁判所のあたりから少し北のこの地へ移されたと聞いています。
 蝋の木のお話は私(弘月)も祖母からよくきかされました。蝋の木は櫨の木のこと、戦前はお墓の隅に堂々と繁っていたようです。お爺さんが孫の手を引いてこの木に歯痛が治るようにとお願いに来る光景がよく見られたようです。
 昭和二十年七月二十四日、太平洋戦争末期、B29の爆撃でこのあたりは焼け野原になりました。蝋の木も跡形も無く燃えてしまい、以後芽吹くことはありませんでした。
 上記の文章は民間医療の伝説を集めた「よはひ草」に出ているものです。この文章の存在を知らせてくださったのは島根県のお医者様です。ただの言い伝えと思っていたものがこうして文章として残っているのを見ると寺を預かる者としてやはり嬉しいものです。
 津の町は、どの交差点からも医者の看板が見えると言われるほどお医者様の多い町です。「白」の霊も今はすっかり安心していることでしょう。



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