コーヒー・ブレイク(35)南朝の里

2017.4.3

 あまりに好天が続くし、寒さもさすがに和らいできたので、梅見に少し遠出をした。奈良県五條市にある賀名生(あのう)梅林は、丘陵一面に白や薄紅色の梅が植えられていて、ちょうどその日が一番の見頃だった。遠目には山全体に霞がかかったように見える。上り下りが結構大変な坂道で、散策と言うにはハード過ぎる。途中売店も2,3あるにはあるが、商売っ気もあまりなさそうなところがよい。

明治に入って果実栽培が始まると、さらに多くの苗が植えられていったのだという。かなりな傾斜の斜面にも、お構いなしに木は植えられていて、実の収穫もここでは大変そうだ。

 考えてみれば、こうして長閑に梅見をしている現在まで、紆余曲折はあっても天皇の継承が行われてきたことは感慨深い。初代の天皇が神武というのは神話の世界なのだろうが、実在した最初の天皇はだれなのか。最近読んだ歴史雑誌によれば、10代崇神あたりではないかという。4世紀頃のことだ。そして、神武から数えれば125代目となる今上天皇までの間で、天皇制消滅最大の危機はおそらく72年前の敗戦であったろう。それをかろうじて乗り越えた後、戦後の民主憲法下での最初の天皇となった立場は、「象徴」という言葉が抽象的である分、逆に自らが具体的にその姿を作り上げなければならず困難を極めたはずだ。その苦悩を、我々は昨年のいわゆる「退位をめぐるお言葉」の中に初めて認めたのではないだろうか。今日本の社会が抱える少子高齢化問題が、天皇家にも例外なく降りかかっている。天皇制の「平和の中での存続」、それが天皇家のみならず日本国民すべての願いであるはずだ。そうでなければならない。

道沿いには幟が立っている。南朝の里・・・ そう、ここは南北朝期、京から逃げ延びた天皇や公家たちが一時身を寄せた地でもあるのだ。日本の歴史上唯一、天皇が京都と吉野に二人存在した60年近くが、いわゆる南北朝時代である。都を追われた公家たちが、この地で梅の花を詠んだ歌などもあるようだ。南北朝統一後も一件落着とはいかず、北朝と足利氏による表歴史とは別に、実は争いは長引き、結局そのまま戦国時代へと突入していく、そんな動乱の世だったのである。